俳人、滝野瓢水(たきの・ひょうすい)の句に「手にとらで矢張野に置け蓮華草」というのがある。蓮華(れんげ)の花は野の中で咲いているからこそ美しい眺めなのであって、摘んで家に持ち帰っても萎(しお)れてしまうだけだ。やはりそのものに合った環境に置くことが大事だという意味である。

 菅直人という政治家を見ているとまったく同じことを感じてしまう。

ケンカ屋が副総理になった途端に牙を抜かれた

 私が共産党の政策委員長だった頃、今から10年余り前のことだが、民主党、自由党、社民党などの政調会長と野党同士の会談をよく行った。雑談時に、枝野幸男・当時民主党政調会長から、「菅さんは、若手の議員に『懲罰を恐れていてはダメだ。懲罰をくらってこそ野党議員として一人前だ』と言って、よく尻を叩いていたものです。ともかく乱暴ですから」という趣旨の発言を何度か聞いたことがある。

 なるほど、と納得したものである。

 共産党という政党は、戦前、非合法結社としてスタートし、過酷な弾圧を受けてきた。戦後もレッドパージで半非合法にされたこともある。こういう歴史を持った政党として、弾圧を許さない、そのために相手につけ込む隙を与えないということが強烈なDNAとして刻み込まれている。戦前は、弾圧・拷問によって命を奪われる党員も少なからずいた。党組織そのものも解体状態に追い込まれた政党として、当然のことであったと思う。

 事実、まだ占領下の1951年にこんなことがあった。日本共産党の川上貫一衆議院議員が、講和(敵対国が戦争を終結し、平和を回復する)を巡って、英米などとの単独講和(実際には多数講和)ではなく、ソ連などを含めた全面講和を主張し、また日本の再軍備に反対する演説を衆議院本会議で行った。これが「不穏当な表現」で「議院の品位」を傷つけたとして懲罰動議が提出された。だが川上議員が陳謝要求を拒否したため除名されるという事件が起こっている。

 このケースが占領下での不当な言論弾圧であったことは、いまでは議論の余地もない。いずれにしろ共産党には、相手につけ込まれない警戒心を持つということが、党の存立に関わるものとして重視されてきた。

 だが菅直人には、このようなDNAはない。菅が政治と関わりを持つのは1974年の参議院選挙で市川房枝の選挙事務所代表を務めたことが契機となったようである。市川房枝との関わりから「市民運動家」とか「市民派」と呼ばれているが、どんな市民運動をしたのか寡聞(かぶん)にして知らない。