北方領土問題など、長く対ソ外交、対ロ外交に携わってきた元外務省欧亜局長の東郷和彦氏の著書『北方領土交渉秘録――失われた五度の機会』(新潮社)を読んで、中曽根康弘元首相が、北方領土問題をスターリン主義の残滓(ざんし)と位置づけ、その趣旨をソ連時代のゴルバチョフ書記長に正面から提起していたことを知った。

 同書は次のように記している。

 1988年7月に訪ソした中曽根元首相は、「IMEMO(世界経済国際関係研究所)で講演を行い、『時代精神』という自身の世界観を披歴(ひれき)、スターリニズムの残滓としての北方領問題という鋭い切り口を提起した。さらに、この点をテレビ・インタビューでも明快に指摘した。スターリニズムの問題は、当時のソ連の言論界ではなお微妙な問題をはらんでいただけに、幅広い批判の自由を認める『グラスノスチ』政策に賭けた前総理の気迫には、凛としたものがあった」という。

 この後ゴルバチョフとの会談でも提起するのだが、対日政策が定まっていなかったゴルバチョフから前向きな回答を引き出すことはできなかった。

「スターリン主義の残滓」と決別したいロシア

 だが、中曽根元首相の提起は決して無駄ではなかった。91年12月、ソ連邦が崩壊してロシア連邦が成立し、そのトップにエリツィンが就任したことが、北方領土問題でも大きな変化をもたらした。

 鈴木宗男氏(新党大地代表)によると、エリツィン大統領の側近で国務長官や第一副首相を務めていたゲンナジー・ブルブリス氏が93年の8月から9月にかけて訪日し、当時、自由民主党の衆議院議員だった鈴木氏と食事をした際、次のような発言をしたという。

 「日本人が『北方4島を過疎の土地だからいらない』といっても、ロシアは日本に島を返さなければなりません。北方4島はスターリン主義のもとで、日本から盗んだ領土です。共産主義から絶縁し、『スターリン主義の残滓』と決別しようとしているロシアにとって、北方4島を日本に返すことがロシアの国益に適っている。なぜなら、北方4島を日本に返還することによって、対外的にロシアが正義を回復したと国際社会から認知されるからだ。たとえ日本人がいらないといっても、返さなければならないというのがロシア人としての正しい歴史観です」(鈴木宗男、佐藤優共著『北方領土「特命交渉」』講談社)。