日本で唯一のDRAMメーカーであるエルピーダメモリが会社更生法を申請したことは韓国でも大きなニュースになった。エルピーダが韓国のサムスン電子やハイニックス半導体との競争に勝てなかったことは事実だが、ここ10年の興亡史を振り返ると、企業の力だけではどうしようもない背景があったこともまた事実だろう。
DRAM業界3位のエルピーダは2012年2月27日、会社更生法の適用を申請した。翌日、このニュースを1面トップで報じた日本経済新聞には米データクエストと米IHSアイサプライの調査による1991年と2011年(7~9月期)の世界のDRAM市場シェアの表が大きく載っている。
20年間で激変した市場シェア
91年は混戦だった。首位は東芝(13.7%)でサムスン電子(12.7%)、NEC(10.6%)、日立製作所(9.5%)の順だった。ところが、2011年7~9月期のサムスンのシェアはなんと45.1%、2位はハイニックス半導体で21.6%。韓国2社のシェアは66.7%、つまり世界市場の3分の2を韓国勢が占めている。
エルピーダのここ数年の奮闘ぶりは、そのたびにメディアを賑わした。米国や台湾の企業を巻き込んで大連合を作ろうと坂本幸雄社長が世界中を飛び回ったが、結果を見るとまったく韓国勢に歯が立たなかったのだ。
では、日韓の企業のこれほどの格差はどうして生まれたのだろうか。
ここで時計の針を1998年に戻してみよう。
ちょうどこの頃、NECと日立は、DRAM事業の統合を交渉していた。日立は64キロDRAM、NECは256キロDRAMで世界のトップシェアを握っていたが、当事すでにDRAM市場では凋落が深刻化していた。
だが、両社の事業を単に合わせても、「1+1=2」になるような単純な話でないことくらいは分かっていた。両社の首脳の間では「思い切って外部からCEO(最高経営責任者)を起用して反転攻勢に出よう」というアイデアもあった。
目をつけたのが日本テキサスインスツルメンツ(TI)副社長から神戸製鋼所情報エレクトロニクス副本部長に転じていた坂本幸雄氏だった。
坂本氏の起用ためらい、迷走を重ねたエルピーダ
だが、この人事は幻となった。「人事を含めたすべての権限」を当然のように求めた坂本氏に両社が明確にYESを言えなかったからだ。
99年に両社の共同出資会社(NEC日立メモリ、2000年にエルピーダメモリに社名変更)が設立されたが、予想通り、NECと日立出身者で意見が合わず、事業は迷走を重ねた。エルピーダのシェアは4%前後にまで急落し、2002年になってようやく坂本氏に「全権社長」を委ねたが、この数年間のロスは予想以上に大きかったと今も指摘する意見は根強い。