信州・小布施は小さな町である。人口は1万2000人でしかない。しかしこの町にはピーク時よりはやや減ったとはいえ、日本全国のみならず世界中から、年間80万人もの観光客が訪れる。また小布施に移住して、当地で活躍する人も多い。
小布施の何が人々を惹きつけるのか。また小布施の魅力の背後には何があるのか。私なりに分析してみた。
80歳を超えていた葛飾北斎が足繁く通った町
毎週末ともなると、小布施の中心街は観光客でごった返す。人口1万2000人の街に年間で80万人もの観光客が訪れるのだから当然だろう。最近ではマイカーで来る少数のグループ客が特に増えているそうだ。
2006年に、ETC搭載車に限り通行が可能で、パーキングエリアやサービスエリアの敷地内に設置される1台分程度のインターチェンジ「スマートIC」が小布施PAに設置され、街の中心部に高速道路からアクセスが便利になったことが1つの要因だ。
スマートICが設置されてから、PA自体も地場の農作物を中心に出店で賑わうようになった。そして、小布施の観光客にはリピーターが多いのも特徴だ。夏に来た人がまた別の季節に訪れたり、友人を連れて出かけ直したりする人もいる。何が彼らをそこまで惹きつけるのだろうか。
小布施は元々、歴史的、文化的に魅力があるということはある。江戸時代後期、既に80歳を超えていた葛飾北斎がこの町に足繁く通い、パトロン的存在だった当地の豪商・高井鴻山の元に起居しながら多くの作品を残したことは有名だ。
小布施町内にある岩松院天井画や、祭屋台天井画はその代表例と言われる。また、栗の産地としても有名で、200年以上の歴史を誇る栗菓子匠がいくつかある。どの店の栗料理、栗菓子も美味だ。
バブル時の乱開発を修復して小布施らしさ取り戻す
しかし、現在のように、全国から多くの人が集まるようになったのは、北斎の作品があり、栗菓子がおいしいからだけではない。人の集う町づくりを、地道に続けている成果だ。
小布施に観光客が来るきっかけとなったのは、1976年開館の北斎館である。当時、田んぼの中の美術館とマスコミに大きく取り上げらた。
その後、建築家の宮本忠長氏がアドバイザーとなり、街ぐるみで取り組んだ「修景」事業がさらに観光客を呼んだ。この事業は、市村次夫氏らを中心に行われた。市村氏は、高井鴻山の末裔で、地酒の老舗「桝一市村酒造場」と栗菓子匠「小布施堂」の社長でもある。