政治家の「面子」は政治家が決める

中国国家主席の写真説明に獄中の人権活動家の名前、香港紙がミス

核セキュリティーサミットの全体会議に出席する中国の胡錦濤国家主席〔AFPBB News〕

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 この点、政治家の場合も基本的メカニズムは変わらない。最近の例では、前回前々回ご紹介した胡錦濤の訪米がある。「米国の強い要請を受けて」4月12日の核セキュリティーサミットに出席した直後に米財務省が中国を「為替操作国」とでも認定すれば、国家主席の「面子」はないのだ。

 もちろん、例外はある。報道によれば、4月12日のワシントンのアンドリュース空軍基地には、胡錦濤国家主席を米中両国旗で「熱烈歓迎」する中国人大群衆の姿はなかったという。これまでなら現地大使館が在留中国人を大量動員して、外遊する中国首脳を迎えるのが常だったのに。

 中国政治指導者の「面子」を保つこの風物詩を、今回胡錦濤国家主席は止めるよう指示し、今後もこの種の外遊時に中国人の「出迎え動員」はないという。

 この決定は中国国内でも評価が高いようだが、逆に言えば、最高指導者の「鶴の一声」がない限り今後も続いたに違いない。政治指導者の「面子」の基準は政治家にしか決められないということだろう。

「ミエンッ」と「めんつ」の違い

 それでは中国の「ミエンッ」と日本の「めんつ」はどう違うのか。冒頭ご紹介したブログでは、「人前で中国人に恥をかかせるような行為」は駄目だなどと書いてある。しかし、この「恥をかかせる」ことが「面子を潰す」ことだという発想自体、非常に日本的なものだ。

 別の例を挙げよう。中国人は「面子」を保つため、わざわざ人目につく形で自己の経済力以上のカネを使う傾向があるとも言われる。