MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

 私は前回の記事「こんなものいらない、復興増税」で、いま検討が進められている「復興増税」は、やや筋違いの政策ではないかと論じました。増税に走る前に、「3つの区別」(財政規律と震災復興の区別、建設国債と赤字国債の区別、コストとバリューの区別)を明確にすべきだと論じたわけです。

 高齢化による社会保障給付の増大に対応できる税制の構築を怠ってきた結果、日本は莫大な赤字国債(将来世代へのツケ回し)の発行を続けてきました。

 この赤字国債の償還期間が60年なのに、将来に貴重な資産を残す復興事業の財源として発行する復興国債については今の世代で償還する、そのために増税をするというのでは、論理が逆さまです。

論理不整合な政策の背景にある政治不信

 ただ、こうした論理不整合な政策の背景には、財政当局の政治不信があるのかもしれません。日本の財政規律の問題とは、結局、選挙で票を失いたくないあまり、ムダの削減とは桁違いの「不都合な真実」から何十年も目をそむけ、社会保障の国民負担を先送りしてきた「政治の失敗」がもたらした問題です。

 本筋である消費税増税への政治的担保が不十分なら、震災という国民にとって分かりやすい増税名目があれば、それを生かして財政の悪化を少しでも食い止めたいというのが、財政当局としては自然な発想でしょう。

 しかし、政策の本筋は、私が前回提起したように、社会保障財源としての消費税率を、例えば、毎年度1%ずつアップすることで経済活性化と両立させるなどの工夫をしつつ、徐々に引き上げることを前提に、震災復興を財政規律の世界とは切り離して、日本の経済再生のチャンスとして生かすことにあります。

 この点を見失ってはいけません。消費税収の国の取り分は全額、高齢世代への社会保障に充てられていますが、それでも毎年度10兆円程度不足し、それが赤字国債として3世代にわたり将来世代にツケ回されているという状況は、現世代に生きる者として道徳的にも許されないことです。

 日本経済は、こうした「大量出血」が体力を弱め、必要な治療もできないでいる患者のようなものです。

 いま、日本経済を治療するチャンスが訪れています。消費税アップによる「止血」の道筋を明確に定めることこそが、日本の財政規律であり、それをしないことで治療のチャンスを十分に生かせなければ、本物の「国家破綻」が訪れることでしょう。