免疫学の国際的権威がこう指摘するのに、なぜ日本ではワクチンフィーバーが続くのか。その理由はいくつかある。
理由の最初は、振り上げた拳を降ろせなくなったという点だ。新型ウイルスの登場に沸いたのは、ほかならぬ医学界の権威ある先生たちだった。
当初、毒性の高さに対する備えが必要だと声高に説いていた権威と名声には特にこだわりの強い先生たちが、振り上げた拳を降ろせなくなった。そのため、毒性が弱いことが分かってきても、強い対策の必要性を説き続けるのである。
理由の2つ目が、大局よりも局所を重視する国民性と言えるだろう。体の弱いお年寄りや受験生を抱えた親たちが、何とかしてほしいと訴える。それは一部脅迫的なニュアンスも帯びてくる。「もしものことがあったら、どうしてくれる。あなた方の責任だから」と。
こうした声に国民は弱い。そして視聴率しか頭にない日本のマスメディアが超一流のアジテーターぶりを発揮して、自ら考えリスクを取ることを極端に嫌がる日本の国民を煽りに煽る。さらに、ここを商機と見た健康産業が、大々的な宣伝を打つ。「外から帰ったら必ず石鹸で手を洗いましょう。マスクも忘れずに」
公園で子供を遊ばせた日は手を洗わせない!
ワクチンを打つのもいい、泡状の液体石鹸で手を洗うのもいい、マスクをするのもいい。本当に必要だと思う人がすればいい。でも専門家が効果を疑問視しているワクチンに多額の税金を使うに至っては問題ではないか。ワクチンにお金を注ぎ込んで喜んでいるのはいったい誰なのだろう。本当に国民だろうか。
どうも、医療の問題だけでなく、日本が抱える問題の多くがこうした得体の知れない構造に起因しているのではないかと思う。一斉に成果主義に走り出す日本の大企業。急成長ベンチャーを次々と検挙して倒産に導いていく検察。とどまる所を知らない感情的な役人批判。本質から目をそらし、ヒステリックな対応に終始してそれをよしとする。既に日本の風土病的な色彩を放ち始めているようだ。
この方向に脱線するときりがないので医療の話に戻ろう。安保教授はこう提案する。「子供たちを公園に連れて行って遊ばせる日があるでしょう。こういう日は大切な日だから、手を洗わせない日にしたらどうです。子供たちにいっぱい雑菌を体に入れてもらいましょう」。
きれい好きで潔癖なママたちが聞いたら・・・。恐ろしい顔が目に浮かぶ。