1. 時代に対応してこなかった自衛隊
朝鮮戦争(1950~53年)と日本独立(1952年)という大変革の中で、警察予備隊が生まれ、それが保安隊を経て、1954年に自衛隊となった。
爾来57年、世界と日本は大きな変化を遂げたと認識されるが、どういうわけか、この自衛隊だけは「十年一日の如く」変わらなかった、と言っていい。
1991年に米ソ冷戦が終結し、世界が「平和の配当を」という声を上げてから4年も後に、遅まきながら「日本でも平和の配当を」と07大綱(平成8年度以降に係る防衛計画の大綱)が決定された。
当時、この大綱作成に参画した筆者たちは「日本はこれまで世界の平和にほとんど貢献してこなかったのだから配当を要求する資格がない」「元々基盤的防衛力なのだからそれを減らす理由もない」と言い張り、すべての削減に抵抗したのだが、陸上自衛隊の「定員18万、13個師団体制」だけは、「16万、9個師団・6個旅団体制」とされてしまった。
かつて、18万・13個師団体制に命をかけてこられた多くの先輩方から「何と情けない」と、お叱りを頂いたが、充足率を上げることにより、実員の削減は最小限にとどめ、予算額そのものはむしろ僅かながら増大させた。
「あのソ連(ロシア)が軍事費を8割も削減し、米国ですら2割カットしている時に、実質予算増を得たことは明らかな勝利だ」と我々は密かに自画自賛していた。
平成22年版防衛白書「日本の防衛」によれば、2000年度予算と2009年度予算の比較からして、この10年間での国防費の変化はロシア8.63倍、中国3.92倍、米国2.26倍、 韓国2.04倍、オーストラリア1.97倍、EU主要国1.31倍であったのに対し、日本は0.98倍であったという。
これは、この10年間、日本の財政事情がことのほか厳しかったという事情もあるが、それ以上に、各国が特にテロ・ゲリラの拡大と中国の軍事力増強に対応して国防費を増強してきたのに対し、日本だけがこれらの変化に全く無関心で過ごしてきたということである。
それ以前からのことをも含め、「日本はいつも世界の動きに関わりなく、ただ官僚的に吉田ドクトリンとGDP1%以下を守り続けてきたのだ」と言っていい。