私は今このサイトで「まちづくりの哲学」を論じているわけであるが、それはどのようなまちをつくるのが最善なのかを考えるためである。そしてその先には、もちろん目指すべき国家像がある。

 つまり、どのようなまちをつくりたいかを考える時、そこには必ず背景となる政治思想が横たわっているはずなのだ。

 ところが、昨今の政治、とりわけ日本の政治においては、そうした政治思想を明らかにすることを忌避する嫌いがある。旗幟鮮明を望まない日本人のメンタリティーも影響しているのかもしれないが、どうやらそれ以上にラベリングを恐れているようである。

 つまり、「自由主義」や「社会民主主義」だとかいう言葉には、すでに長い歴史の中で様々な手垢がついてしまっており、誤解を招くのではないかと危惧しているわけである。もっともな理由ではある。

 しかし、だからといって自分たちの思想を曖昧にしてしまっては、本末転倒なのではないだろうか。それが最近の政治状況の混乱につながっているとするならば、なおさらである。

政治思想は3つのどれかに分類される

 政治思想と言うと何やら難しそうだが、大きく分けると基本的には3つしかない。右か左か真ん中かのいずれかである。それぞれがさらに細分化されているにすぎない。右なら「極右」「保守」、左なら「極左」「革新」、真ん中なら「中道」「中道右派」「中道左派」といったように。

 これらに政治思想としての名称を当てはめてみよう。この辺りは論者によって異なるが、例えば、「保守」ならば「新保守主義(ネオコンサバティズム)」か「新自由主義(ネオリベラリズム)」、あるいは「保守主義(コンサバティズム)」か「自由主義(リベラリズム)」のいずれかである。

 「中道右派」はあえて保守と区別するなら「保守主義」か「自由主義」、「中道左派」は「社会民主主義」か「自由主義」、「革新」は「共産主義」か「社会主義」、ということになろう。これらを整理すると、以下のようになる。

<右>
・極右
・保守 ── (「新保守主義(ネオコンサバティズム)」「新自由主義(ネオリベラリズム)」
       「保守主義(コンサバティズム)」「自由主義(リベラリズム)」)

<真ん中>
・中道右派 ── (「保守主義」「自由主義」)
・中道
・中道左派 ── (「社会民主主義」「自由主義」)

<左>
・革新 ── (「共産主義」「社会主義」)
・極左

 ここで気がつくのは、部分的に重なりが生じていることである。つまり、自由主義(リベラリズム)などは、保守も中道右派も中道左派も、みな用いるのである。実はこれが問題で、よほど極端な主張ででもない限り、どれも似たり寄ったりになってくる。

 では、どうしてこういうことになるかというと、そこには民衆への迎合があるのだ。政治というのは、民衆に支持されないことには成り立たない。