シンガポールの製造業は空洞化が急速に進み、産業構造の転換に迫られている──。筆者は、そう考えていた。

 アジアの製造業の発展を見ると、工場としては中国やタイ、ベトナム、そしてインドが台頭しつつある。その一方で、日本、韓国、台湾など、早くに製造業が発展した国では、製造業の空洞化、少なくとも労働集約的な工場の海外移転による製造現場の空洞化が進んでいる。

 しかし、日本などには開発拠点や先端産業がまだ残っている。そのような製造業先進国と低コスト量産拠点となる新興国との間に挟まれ、シンガポールは中途半端になり、アジア製造業の中で地位を低下させているのではないかという仮説を持っていた。

 シンガポールや香港は、1970年代に日本や米国の製造業がアジアにおける低コスト生産のための工場進出先として最初に選んだ国であった。しかし、その後、シンガポールや香港は経済発展するとともに、急速に賃金が高騰し、低コスト生産の立地としての魅力を失っていった。シンガポール近隣のタイ、マレーシア、インドネシアや、香港の隣の深センや東莞に低コスト工場は移っていった。

 実際、香港には製造業らしい工場はほとんど残っていない。開発機能を備えた本社を持つ日本や米国と、低コスト生産立地の中国やタイの狭間で、製造業における明確なポジションを喪失してしまった。シンガポールも製造業は空洞化し、金融など別の産業に足場を移しているのだろうと推測していた。

 ところが、筆者の「シンガポール製造業空洞化論」は間違っていた。

 空洞化していると思いこんでいたせいで、アジアの製造業調査の対象としてシンガポールに行こうとは思っていなかった。その思い込みが覆されたのは、2007年、2008年、2009年と3回にわたってシンガポールを訪問した時である。

 シンガポールを訪れた筆者は日系企業、米国系企業、政府を訪問調査した。そこで見聞きしたものは、筆者の想像とはかなり異なるシンガポール製造業の姿であった。

生産が増え続けている日系メーカーの工場

 ミニチュアボールベアリングで世界シェア約60%のミネベアが、最初の海外生産拠点として選んだのがシンガポールであった。名物社長であった故高橋高見氏は、いち早く量産拠点を海外に移すことを計画し、1973年にシンガポールでベアリングの一貫生産を開始した。

 当時、100人の募集に対して6000人のシンガポール人が応募してきたという。しかし、そのシンガポールでも徐々に人手不足が顕在化し、全従業員の70%ほどがマレーシアやバングラデシュから出稼ぎに来る外国人になった。

 そこで1982年にタイに一大量産拠点を作った。タイでは、人手不足が起きることを恐れて、あえてバンコクから離れた地域に進出したという。現在でもタイがミネベアの最大の生産拠点である。

 さらに、1994年には中国に進出している。これはタイが生産拠点として問題になった訳ではなく、中国市場への対応として計画されたものであった。

 このように、73年にシンガポール、82年にタイ、94年に中国と、約10年ごとにミネベアは海外の生産拠点を増やしてきた。