それにしても、日本のほとんどのテレビ局や新聞社が、かくも露骨に反高市の姿勢を隠さないことに驚く。隠さないどころか、テレ朝の大越健介みたいなケンカ腰のものまでいる。諸君は「人民日報」か、CCTV(中国中央電視台)か。
大勢が判明したのち、TBSの選挙特番で太田光が「もし(消費税0%に)できなかった場合、高市総理はどういう風に責任を取るんでしょうか?」と問うた。
これが太田本人が考えた質問かどうか知らないが、まだなにも始まってもいないのに、このざまである。
形式的な批判はもう聞き飽きた
選挙翌朝の2月9日、羽鳥慎一モーニングショーで、政治評論家としての影響力が薄れてきた田崎史郎が、「こわいのは(自民党の)暴走だ」とケチをつけている。
大丈夫だよ、田崎クン。高市総理はプーチンや習近平じゃないのだから。
同じく2月9日の毎日新聞の一面に、政治部長の高山佑という人の「分断深めてはならぬ」という記事が載っている。
いわく、首相は「国論を二分するような大胆な政策・改革」を進めるというが、「『白紙委任』を得たとばかりに『数の力』で押し切ることがあってはならない」。
しかしこんな形式的な批判は、もう聞き飽きた。なんの役にも立たないし、そんなつまらんことなら、すでに君らの好きな石破・岸田がいっているよ。
高山はさらに「説明責任をしっかり果たしながら少数意見に耳を傾け、合意形成を図ることは民主主義の要諦だ」という。
これでどうだ! と思っているようだが、これもただの常套句だ。
少数意見を聴き、「合意形成を図ることは民主主義の要諦だ」というのはいい。
しかしそんなことよりも、選挙で多数を取り、その「数の力」で政策を“推し進める”ことは、民主主義の大原則ではないか。
この世のほとんどのことを決めているのが、「数の力」(多数決、資産、売上高、販売部数、視聴率、再生回数)である。
毎日新聞政治部長は「世論の分断を深めてはならない」というが、いったいなにを恐れているのか。
「責任ある積極財政、国家安全保障戦略など安保関連3文書の改定、スパイ防止法制定、国旗損壊罪創設」などの政策を「押し切る」べきではない、といいたいのだ。
ようするに、自分たちが嫌いな政策をやるな、といっているだけである。