何があるか分からない中でも勝っていける4年間に
努力は技能の向上と大会の成績に結びついた。すると新たな課題が生まれた。競技活動の資金だ。スポンサーやサプライヤーを募り、乗り越えたが、中学1年生の頃には自らスポンサーやサプライヤーに活動報告を行った。
さらに自らプレゼンを行い、スポンサーを募る活動もした。
「いちばん最初がいつだったかははっきり覚えてないんですけど、明確に記憶しているのは15歳、中学3年の夏です。企業さんが集まるイベントでお時間をいただいて、20分程度プレゼンをさせていただきました」
そのシーズン、国際大会シニアデビューを控え、輪をかけて競技活動の資金の必要に迫られていた。
「金銭的に新しく支えてくださる企業さんが見つからなかったら、もう競技が続行できない状態でした」
と振り返っている。だから必死の思いだった。
「『サポートしてくださったら絶対に損をさせません』と言ったのは今も覚えています。自分に対するプレッシャーになるのかもしれないですけど、『この子ならできるかも』って思ってもらえることがすごく大切だと思っていました」
三木が以前話した中で、鮮明に記憶する言葉がある。
「スポンサーさんやサプライヤーさんに支えてもらわないと絶対にできない競技で、支えてくれる人の大切さっていうのは、小さい頃から両親が教育をしてくれていました。物品提供という意味でサプライヤーさんが最初についてくださったのが小学校4、5年の頃です。そのとき両親に、特に母に、『物を作るために多くの人が関わっていて、本来は売ったら利益が出てお給料として払われるもの。それを無償であなたに渡してくれているんだから、それ相応の恩返しをしていかないといけない。結果を出すことは最低限で、それ以上の恩返しをしていかなければいけない、大切にしていかなければいけない。提供してもらうのは当たり前じゃないことを刻み続けなければいけない』と教わりました。私もほんとうにありがたいと思っていましたし、大切にしないと、と思っていました」
支える人々への感謝を、シーズンオフの挨拶をはじめ、さまざまな形で実践してきた。むろん、自身のために獲りたかっただろう、加えて、感謝と恩返しを意識し続けた延長上に「皆さんにメダルをお見せしたかった」という思いがある。
そして「実力不足」と受け止めるところには、両親の教えや支えもあっただろう、その中で自立心を養ってきたからこそ身に着いた姿勢を思わせる。
今までも順風満帆であったわけではない。波もありつつ、ここまで来た。だから今大会の結果も次へとつなげることができる。
試合を終えて、三木はこう語っている。
「6位という順位が私の実力だと思います。何があるか分からない中でも勝っていける4年間にしたいです。4年後、一番を獲れるように」
悔しさをかみしめた舞台は、さらなる高みへと向かう、より強くなった未来を現実とするための再スタートの機会でもあった。
撮影/積 紫乃
三木つばき
2003年6月1日生まれ。静岡県掛川市在住。長野県北安曇郡白馬村生まれ。現在は日本体育大学体育学部体育学科在学。2022年北京五輪出場。2024-2025年シーズンは世界選手権でパラレル大回転で銀メダル、非五輪種目のパラレル回転で金メダルを獲得、ワールドカップランキングで総合優勝。公式ホームページ https://www.miki-box.com/tsubaki/
*JBpressでの連載「フィギュアスケートを支える人々」(2024年8月30日公開までの一部)と、書き下ろしを含む電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(松原孝臣著/日本ビジネスプレス刊)が発売中です。
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