その私がたどった道。ここに至るまでの顛末。そして直面している現実。

 選挙が国民の民意を反映するものであるのなら、報道は主権者に判断材料としての情報を提供する民主主義の根幹を成す。それ故に自由が保障される。

 昨今では政治家の記者とのオフレコ発言も、内容の甚大さに鑑みて、全国紙が書き示すことで、真実が国民の手に届くことも多くなった。

 私はあえて、私が体験したことをここに書き記すことによって、より多くの人々に、その現状を知って欲しいと願う。そこに価値はあるはずだ。

 果たして、これが民意を映し出したものなのか。あるいは、人間の尊厳を重視しているものなのか。

異様さを感じた歓迎会

 三重県第4区は、三重県南部の4つの市と11の町、合わせて15の自治体から成る。地図で見れば、松阪市より南、和歌山県の県境までに当たる。これで小選挙区と言えるのかと首を傾げたくなるほど広域であって、それだけ人口減少、少子高齢化が進む地域だった。

 私は、選挙が実施された前年の2023年8月に、立憲民主党の次期衆議院選挙に向けた公認が内定し、三重県第4区の総支部長として10月に伊勢市に事務所を開設していた。

 私の歓迎会が行われたのは、その翌月の11月24日のことだった。

 その夜、私は伊勢市の近鉄宇治山田駅のすぐ前にある『大喜』という料理屋にいた。地元では老舗割烹として知られ、その時代の天皇皇后や皇族が伊勢神宮に参拝に訪れた際にも、ここの料理を食したことがある。

 宇治山田駅は皇族の神宮参拝の玄関口だ。駅舎も大きく格式も高く、それでいて柔らかく、どこか美しい。

 時の首相や野党党首たちも正月に伊勢神宮に参拝すると、この駅に降り立って、この老舗割烹で随行の幹部たちと食事をとった。

 老舗割烹は3階建てで、1階にカウンターとテーブル、2階で宴会ができるように仕切られている。2階に上ると畳張りの上に4人がけのテーブルと椅子がいくつも用意されていた。

 そこに事務所の女性スタッフをはじめ、党籍はなくともこちらの陣営の県議会、市議会議員が集まる。三重県議会は「新生みえ」と呼ばれる会派が対する自民党と拮抗していて、国政選挙となれば立憲民主党、国民民主党、連合、それに新生みえが共闘して候補者を推す。次回選挙に向けた選対幹部も新生みえから選ばれていた。

 4人がけのテーブル。私の右隣に選対委員長のFという県議が座っていた。正面には私がこちらにきてできた後援会の会長で、引退はしたものの元県議会議員で議長まで務めたNがいた。そして、その隣に選対の事務局長のSという県議が座っていた。Sはいわば引退したNの後継だった。その3人はいずれも私より歳が上で、60歳を過ぎていた。