チンギス・カンの時代にまで遡る数奇な歴史
1242年にチンギス・カンの孫のバトは現在のルーマニアとモルドバにあたる地域を征服し、モンゴルは太守を派遣した。14世紀には太守バサラブがルーマニア南部を統治し、その後、バサラブの子孫がルーマニアとモルドバの支配者となった。
ドラキュラ伯爵のモデルとして知られるヴラド・ツェペシュ公もバサラブの子孫の一人だ。ロシア人は現在のモルドバ共和国を含む地域一帯を、バサラブの地を意味するベッサラビアと呼んだ。
16世紀になるとオスマン帝国の支配下に入り、小麦の輸出で栄えたが、1812年までにベッサラビアはロシア帝国に奪われた。1918年にルーマニアが奪い返すが、1947年にソ連に併合され、モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国となった。ややこしいが、「モルドバ」はルーマニア語、「モルダヴィア」はロシア語表記だ。
1985年にゴルバチョフ書記長が登場し、ペレストロイカが行われる中、ソ連全体で民族運動が激しくなった。1989年にガガウズ人はガガウズ自治ソビエト共和国の建国を宣言したが無効とされ、1990年にはソ連からの独立を宣言するなどソ連と激しく争っていた。
一方、モルダヴィアの方も1991年にモルドバ共和国として独立を宣言し、同じ民族であるルーマニアとの合邦を目指す勢力と、ロシアとの関係を重視する勢力に分かれた。1992年には東部トランスニストリア地域が分離独立を主張し、これ以降、ロシア軍が駐留を続けている。
こうしてモルドバ共和国がロシアと対立するようになると同時に、ガガウズ人もまたモルドバ政府に対して独立ないし大幅な自治権を要求するようになった。つまり、ガガウズ人の敵は、ソ連・ロシアからモルドバになってしまったのだ。
2014年の調査によると、ガガウズ人のほぼ全員が、もしモルドバがEUに加盟するのであれば、ガガウズ自治区は独立してロシア・CISとの関係を強化すべきだと答えている。