崇禎帝末期との構造的類似

権力の自壊プロセス

 国際政治評論家の宮崎正弘氏は1月25日付「国際情勢解題」で、今回の軍政中枢の体系的粛清について「明朝末期の崇禎帝とまるっきりそっくり」と論評している。

 明朝最後の皇帝・崇禎帝は、猜疑心から有能な将軍や官僚を次々と処刑し、結果として自らの統治基盤を自壊させた。

 筆者が本稿で崇禎帝末期を取り上げるのは、権力の過度な集中と粛清の連鎖が、組織の機能不全と統治者の孤立を招くという「歴史的に繰り返される崩壊パターン」を最も典型的に示しているからである。

 加えて、崇禎帝と習近平氏には、統治スタイルにおいて一定の近似性が指摘されている。

 両者とも「自らの手ですべてを掌握しようとする強い統制志向」と「側近以外を信用しにくい慎重さ」を併せ持ち、その結果として組織の自律性が失われ、情報が上がらなくなるという構造を生みやすい。

 これは性格論というより、強権的リーダーが陥りやすい「統治の心理的パターン」として政治学でも知られた現象である。

 さらに重要なのは、明朝も現代中国も、同じ漢民族国家の政治文化・官僚制度の系譜に位置づけられるという点だ。

 すなわち、異なる文明圏の比較ではなく、同一文明圏における「自壊の再現性」を検証できるという意味で、崇禎帝末期は極めて示唆的な歴史サンプルとなる。

 その末期症状は次のように整理できる。

●功臣の連続粛清

 有能な将軍や官僚を「疑わしい」という理由で次々と排除し、国家を支える人材が消えていくことで統治能力そのものが低下する現象。

●情報遮断と統治者の孤立

 粛清を恐れた官僚が悪い情報を隠し、トップが現実を把握できなくなり、誤った判断を重ねる状態。

●軍の士気崩壊

 指揮官の頻繁な交代や粛清により、兵士が上層部を信頼できず、戦う意欲も組織力も失われる状況。

●財政破綻

 汚職・浪費・経済停滞が重なり、軍事・行政・社会保障に必要な資金が不足し、国家機能が麻痺する段階。

●組織の自壊と最終的な孤立

 官僚も軍も動かず、誰も統治者を支えなくなり、国家の中枢が空洞化し、統治者が完全に孤立する末期局面。

 崇禎帝末期に見られた症状は、現代中国で起きている現象と驚くほど重なる。

 権力の集中が極まると、逆に統治能力が急速に劣化するという歴史的パターンが再現されつつある。

 権力の集中は、情報遮断・逆選択・官僚の萎縮・意思決定の硬直化を招き、その結果として統治能力が急速に低下する――これは政治学・組織論で広く認められた現象である。