氷河期世代のリアル、平凡で報われない人生に差し込む「恋の光」
こうしたストーリーに、多くの50代は身につまされるに違いない。
若いときに思い描いていた人生を歩んでいる人の方が少ないだろうし、歩んでいたとしても、長く生きれば、人生には思わぬアクシデントが待ち構えているものだ。50代の独身が増えているいま、一人暮らしの気楽さとともに心細さが分かる同世代も多いのではないか(私もその一人である)。
また、小説とは異なり、映画では時代設定が現在(2025年)に置き換えられているため、二人は氷河期世代のど真ん中に当たる。他の世代と比べて賃金の伸び率が極端に低く、やり直しが難しい氷河期世代の悲哀もまたリアルに同世代には伝わってくる。
だが、だからこそ、二人の愛はかけがえなく輝くのだろう。映画を見ながら、すごい大人になれなかったからこそ、二人は再び恋をした、恋ができたのだ、と私は思った。互いの傷をなめあっているということではない。弱さこそ、みっともなさこそ、本来、人の心の奥底を揺さぶるものだと思うからだ。
二人は付き合うようになるものの、須藤の生来の〈太い〉性格と大人の節度が相まって、彼女は青砥が自分の中に、一定のラインを越えて踏み込むことをよしとしない。病床での須藤の選択を、相手への愛ととるか、水臭いととるかは、見る人によって分かれるのではないか。
どちらにしても、ラストで二人ともつらい思いをしたことは間違いない。愛はつらい。劇中で流れる薬師丸ひろ子の名曲「メイン・テーマ」の歌詞のように、愛は傷つく。
だが、つらい経験であっても、つらい経験ができる幸せが人生にはあることを、この物語は伝えている。たくさんのものを背負い、さまざまなものを得ては失った大人になるほど、それを実感できるはずだとも思う。