ロシアによるジョージア侵攻の教訓
この原則を国のレベルに当てはめると、2025年の世界が理にかなったものになり始める。
紛争は、上述のはみ出しがあったところで起きている。
ロシア正教会文明圏にありながら西洋に目を向けているウクライナ、文化的には中国なのに民主的な台湾、イスラムへのアプローチが自分たちとは少し異なる国々、といった具合だ。
暴力こそ振るわれていないが、米国のポピュリストらによる欧州への攻撃も、わずかな違いが気に障る一つの例だ。
2001年9月11日の同時多発テロはその後長い間、21世紀が始まった瞬間だと見なされていた。
今にして思えば、これから起きる出来事を本当に予告していたのはその7年後に起きたプーチンのジョージア(グルジア)侵攻だった。
旧ソビエト連邦の共和国の一つだったジョージアは当時、西側に傾倒しているように見えた。
争いは同じ文明の中でも起こりうるし、宗教でさえ仲間割れの修復にはあまり役に立たない――。
あのジョージア侵攻にはそういった教訓が含まれていたのだが、同年夏に始まった銀行危機のせいで見失われてしまった。
そうした教訓を復習する機会は今後も山ほどめぐってくるだろう。
(文中敬称略)