文明の切り口では予想できない紛争
今日の断層線のほとんどは、これに比べれば曖昧だ。
ハンチントンの主張のうち最も悪名高いのは、イスラム文明には「血なまぐさい境界線」があるというものだ。この境界に他の文明が触れると、そこでトラブルが始まるというのだ。
ただ、過去10年間の証拠を見る限り、イスラム諸国の真の標的は他のイスラムの国々であるように思われる。
イランとサウジアラビアの代理紛争、エジプトと3つの湾岸諸国によるカタールとの往来停止、イエメンで続いている紛争(UAEが後押しする反政府勢力が先日、サウジアラビアが支援する政府軍を相手に戦果を挙げた)などを考えてみればいい。
シリア内戦や、その前の「アラブの春」も証拠のリストに加えられるだろう。「最も血なまぐさい」衝突は文明間ではなく、同じ文明の中で生じてきた。
どこがどこと戦うのか、文明という切り口での予測には期待できないとしたら、協力関係の説明などなおさらだ。
西側のリベラルな国々にとって世界で最も不穏な二国間協定と言えば、ウラジーミル・プーチンのロシアと習近平の中国とのそれだ。この協定は文明の境界線をまたいでいる。
またハンチントンは文明の決定的な要素として宗教を重視していたが、欧州連合(EU)はキリスト教国で親ロシアの少なくとも1つの加盟国よりも、神道・仏教国の日本との関係の方が良好な場合が多い。
北朝鮮と韓国は民族的にも文明的にも親類だが、それぞれの地政学的な同盟国の顔ぶれはこれ以上ないほどかけ離れている(そもそも、法的にはこの2国はまだ戦争状態にある)。
朝鮮半島の情勢は、国家の外交政策が古来の文化的アイデンティティーではなくかなり最近の経験によっても形成されることを示している。
米国の現政権については、そのポジションは――論旨をねじ曲げない範囲で言い換えるなら――、「欧州は十分に西洋的だと言えない。だからロシアとサウジアラビアを大事にしよう」というものになるだろう。
ここに見られる独裁者崇拝の倫理性がどんなものであろうと、際立っているのは非論理性だ。高級で卓越した文明としての西洋について語ることが最も多い人々が、実際には最もデタラメなのだ。