最も強い憎悪が向けられるのは仲間内
では、ハンチントンはどこでどう読み違えたのか。紛争を理解するには、まず紛争というものを多少経験することが役に立つ。
銃を携えた主戦論者のウィンストン・チャーチルと、元植民地警察官のジョージ・オーウェルが1930年代に独裁者をはっきり認識できたこと、そして彼らより優秀に見えた多くの人にはそれができなかったことの背景には、そういう違いがあったからかもしれない。
いや、穏やかな性格のWASP(アングロサクソン系でプロテスタントの白人米国人のこと)だったハンチントンは、そもそも戦争の将来を予言することには向いていなかったのかもしれない。
特に、あらゆるレベルの政治に見られる真実の一つを彼は理解できていなかった。狂信的な人々は最も強い憎悪を紛れもない敵のためにとっておくようなことはしない、という真実だ。
そう、最も強い憎悪は疑問を差し挟む人、背教・転向する人、そして離れてゆく仲間に向けられる。
そもそも、自分の世界に照らして完全に異質な人は無視するのも容易だ。完全に異質ではないが自分の世界からはみだしている人には我慢ができない。
ウォーク(意識高い系)の活動家が最も強く否定しようとしたのは誰だったか、思い出してみてほしい。
それはJ・K・ローリングのようなごく普通のリベラルであり、そもそも接触する機会が限られている極右の活動家ではなかった。