政治資金規正法は「キャバクラはダメ」と明記していない

 しかし、より本質的な問題は、現行の政治資金規正法が抱える「性善説」と「国民への丸投げ」構造にあるのではないか。同法第2条は、政治資金が「国民の浄財」であることを強調し、その収支の公開を通じて「国民の不断の監視と批判」の下に置くことを宣言している。

政治資金規正法

(基本理念)
第二条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。
2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。

 つまり、法の建前上、「何に使うか」の判断は最終的に議員個人に委ねられており、法律は「キャバクラで使ってはならない」とは明記していない。あくまで「公開するから、あとは国民が判断せよ」というかたちになっていて、裏を返せば、国民が認知できず、選挙で彼ら彼女らを当選させ続ける限り、キャバクラでの遊興費すらも是とみなされてしまう。

 実際には、我々は気がついていないだけ、という可能性を排除しきれない。実際、電子的に利便性の高いかたちで収支報告書が公開されていないからだ。

 それでも重要となるのが、有権者が声を上げること、すなわち「文句を言う」ことの政治的意義である。2024年の政治資金規正法改正では、透明性の向上や連座制の強化が図られたものの、使途の制限については依然として抜け穴が多い。いわゆる「政策活動費」の問題にしても、その使途のブラックボックス化が批判されているが、根本にあるのは「政治家は自らを律することができるはずだ」という幻想に近い性善説である。

 そしてこの間、まったくそういう姿勢が認められないのだが、政治家自らがまともな倫理観を持たないのであれば、有権者がその非を鳴らし、SNSやパブリックコメント、そして選挙結果を通じて「NO」を突きつける以外ないのである。