今の日本人にも土葬を望む人は一定数いる

 それとは対照的に土葬はどんどん消滅していったが、それでも今から45年前の1980年時点ではまだ1割程度が土葬であった。その内訳は当時、風葬が残っていた沖縄や、火葬場の整備が遅れた離島、関西の一部の地域である。

 現在、伝統的な土葬習俗が残るのは滋賀や奈良、京都南部、三重など関西を中心にごくわずかの地域だ。特殊な例として、死胎(水子)を土葬する地域がある。土葬数は年間に400〜500体程度である。

欲望の仏教史

 現代日本人でも、土葬を望む人がいるのも事実であることは押さえておかねばならない。実際、私の知人(仏教)も生前より土葬を希望しており、7年前に土葬されている。排外主義を、土葬問題に組み込んでしまうことは、土葬で埋葬された先人の尊厳を傷つけることにもなりかねない。

 土葬は公衆衛生上、よくないという論法も乱暴である。これまで述べてきているように、カトリックやイスラム教徒が多数派の国では、今なお土葬が基本である。欧州でもフランスやイタリアの火葬率は3~4割前後に過ぎず、日本のような火葬一色の国はむしろ少数派だ。土葬によって感染症が広がり、水が汚れるのであれば、世界中が汚染地帯になっているであろう。

 東日本大震災時には厚労省通知のもとで2000体超が土葬(仮埋葬)されている。墓埋法で土葬の余地を残しておくことは危機管理上、とても大切だ。また、国際結婚が進めば、日本人の土葬が増えていくのは必然である。それでなくとも一部の都市部では火葬炉が足りていない。火葬場の整備は、それはそれで、反対運動が巻き起こる。

 土葬墓地に関する全国的な基準を決めて、各自治体が管理とモニタリングをすれば済む問題ではないか。年間わずかな数の土葬を、安全基準を満たした墓地で認めるという程度の配慮すら拒む社会は、あまりに寛容性を欠いた状態といえないだろうか。

鵜飼秀徳(うかい・ひでのり)
作家・正覚寺住職・大正大学招聘教授
1974年、京都市嵯峨の正覚寺に生まれる。新聞記者・雑誌編集者を経て2018年1月に独立。現在、正覚寺住職を務める傍ら、「宗教と社会」をテーマに取材、執筆を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)、『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)、『ニッポン珍供養』(集英社インターナショナル)など多数。大正大学招聘教授、東京農業大学非常勤講師、佛教大学非常勤講師、一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事。公益財団法人日本宗教連盟、公益財団法人全日本仏教会などで有識者委員を務める。