この観点からは、スイスの場合は、今のところ万全である一方で、日本の場合には、国債保有が日本銀行に偏っている点で国債管理の難易度が高い点や、政府から中央銀行への干渉の可能性があるという点で不確実性を伴う。

 10年以上にわたった異次元金融緩和政策との整合性を気にするあまり、マイナス実質金利を維持し続ける日本銀行の立ち位置は、本来の物価の安定という目的から乖離しているため、すでに信認は低下しつつあるとの声もある。

スイス・中国・日本という「最低金利国リーグ」

 日本の場合は、四半世紀にわたり国債利回りが2%を割っていたため、慣性の法則がはたらき、なかなか2%を上回りにくいはずだが、この課題が現実のものとなり2%を超えると、利回り上昇が加速化する懸念が残る。日本は、スイス・中国・日本という「最低金利国リーグ」から離脱し、逆に2%ラインが長期金利のフロア(下限)になる可能性もあるだろう。

 もっとも、この「2%反転パターン」がすべての国に当てはまるわけではない。

 実際、スイスのように、長期金利が歴史的な下限とみられる2%を下回ったまま、長期にわたり反転の兆しを見せない国も存在する。この持続的な低金利は、単なる財政事情や中央銀行の運営方針だけでは説明しにくい。むしろ、金利そのものに対する社会の受容度や、富の偏在度合いといった、より根の深い制度的・社会的条件が影響している可能性がある。

 こうした「パターンの例外」を踏まえると、視野を数百年の金融史から、より長い時間軸へと拡張する必要が生じる。すなわち、数千年にわたり繰り返されてきた「金利の是非」そのものが、いま改めて問い直されているのではないか。

 まずグローバル金融資産は、経済実体の規模をはるかに上回り、資金調達ニーズを超えてきているため、魅力的な投資先が枯渇しつつある。膨大な運用資金が投資先を求めて競争し、金利は低くなりやすくなっている。