3代目藩主の側室となった絶世の美女・お福

 尾張徳川家3代目藩主・徳川綱誠は、正室の新君(瑩珠院)のほかに礼与、佐野、下総、梅小路、段、津解、佐子、難波、和泉、下総(お福、本寿院)、阿古、万、梅津、唐橋、菊山、倉橋、新大夫、と側室の17人も抱え、22男18女と計40人の子供をもうけた。

 その側室の中でも特に、綱誠が一目惚れして側室にしたのが、絶世の美女・下総(お福)である。

 お福は幼少の頃から大変な美少女だったという。

 年頃になった彼女は周囲の男性の憧れの的であったが、柄に似合わず奔放な性格で、男出入りが激しく、幼なじみと駆け落ちしたこともあるという。

 その類い希なる美しさゆえに、徳川綱誠の数ある側室の中でも、とりわけ寵愛されていた。

 お福は綱誠の七女・蔦姫、十男の徳川吉通、十女・立姫、十六男・岩之丞の二男二女をもうけている。

 参勤交代により江戸へ綱誠が下る際、主人にしたがったお福。だが、その翌年、綱誠が江戸市ヶ谷邸で急逝。享年47歳。死因は食中毒で草苺を食したためとされる。