「台湾と断交」した歴史
そして、そもそもの大前提として、日本は中国と国交を結び、台湾とは断交した歴史がある。日中共同声明(1972年9月29日)第三項は次のように述べている。
「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」
当時の外務大臣、大平正芳は記者会見で次のように明言した。
「共同声明の中にはふれられていないが、日中関係の正常化の結果として、日華平和条約(日本が台湾と1952年に結んだ条約─引用者注)は存続の意義を失い、終了したものと認められるというのが日本政府の見解である」(服部龍二『日中国交正常化:田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』中公新書、2011年)
『日中国交正常化』によると、日本側は台湾が中国の一部になっているとは見なしていない。佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領が共同声明(1969年11月)において「総理大臣と大統領は、中共がその対外関係においてより協調的かつ建設的な態度をとるよう期待する点において双方一致していることを認めた。大統領は、米国の中華民国に対する条約上の義務に言及し、米国はこれを遵守するものであると述べた。総理大臣は、台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとつてきわめて重要な要素であると述べた」とした点は堅持するという前提であった。
もちろん、台湾との民間人交流はその後も続き、日本との関係は良好である。しかし、台湾が中国に帰属することを日本が認めていないとしても、事実として日本は台湾の中華民国政府とは断交し、大陸中国の北京政府を選んだのであった。
この立場は現在も全く変わっていない。だとすると、やはり中国の北京政府とは関係を修復し、厳しさを増す安保環境の中でもうまく共存していくしかないのではないか。
高市首相は果たして日中関係の悪化を軟着陸させることができるのか。就任早々、外交手腕を問われる事態となった。支持率の高い現在でこそ可能な選択肢もあるはずなので、事態を収束させる賢明な判断を行ってほしいところである。