「再国際化」を果たした羽田空港へのシフトが進む

 成田空港の整備計画には東京駅と成田空港を結ぶ「成田新幹線」も盛り込まれていたが、同計画は用地買収・建設の途中で中止された。一部の区間では建設が始まっていたこともあり、建設中止を受けて着工されていた橋脚などは放置された。

 そうした橋脚や未利用地を転用する形で、京成は京成高砂駅―成田空港駅間を結ぶ成田空港線(成田スカイアクセス)を建設。2010年に開業した同線は線形や線路規格などの要因から最高時速160キロメートルでの運行が可能なため、京成はそれに対応した新型特急の2代目AE形を導入して所要時間の大幅短縮を図った。

 京成は新型特急の導入にあたり、東京(日暮里)―成田空港間を最速36分で結ぶと喧伝。空港アクセスの利便性が向上したことを積極的にPRしたが、まだ“成田は遠い”のイメージは払拭できていない。それは京成が京成上野駅をターミナルにしていることが要因のひとつと言える。

 上野駅は長らく東京の北の玄関口と呼ばれ、戦災復興期や高度経済成長期には北関東・東北地方から上京する若者たちが初めて東京の地を踏む場になっていた。そうした故郷との思い出がリンクする上野は、昭和期までお盆や年末年始の帰省ラッシュに列車を待つ人たちが駅の外にも溢れる光景が当たり前になっていた。

 京成上野駅はJR上野駅に近接しているものの、同じ場所に立地していない。そのため、成田空港から東京駅・新宿駅・渋谷駅などに向かうにはJRに乗り換えなければならない。

 そうした不便が生じるため、京成側もスカイライナー利用者などにJRとの乗り換えがスムーズな日暮里駅を案内している。新型特急のPR材料にしている最速36分も成田空港駅から日暮里駅までの所要時間だ。

京成電鉄のターミナル駅となっている京成上野駅はJR上野駅から少し離れているため、京成とJRの乗り換えは日暮里駅を使うのが一般的となっている(2023年筆者撮影)

 一方、成田空港とともに首都圏および日本の空の玄関口である羽田空港は、沖合に拡張したことで発着本数の枠に余裕が生まれ、2002年にワールドカップ日韓共同開催でチャーター便を就航。成田を国際線、羽田を国内線と役割分担したものの、羽田にも国際線を就航させるなど再国際化する動きを見せた。その後は東アジア諸国を中心に定期便の就航が相次ぎ、2010年に羽田空港は完全に再国際化へと踏み切った。

羽田空港の国際線ロビー(写真:共同通信社)

 それに合わせて京急や東京モノレールの羽田空港へのアクセス整備も進められた。JR東日本が東京モノレールを子会社化し、浜松町接続を軸に連携・利便性を高めた。

 成田に比べて羽田空港が重視されるのは、アクセスの良さもさることながら、成田空港の離着陸時間に制限があることが大きい。

 成田空港は内陸部に所在しているので、空港周辺に民家が点在している。航空機の離発着には振動や騒音が伴い、周辺住民の身体的・精神的ストレスは長期間にわたって蓄積される。そうした周辺住民の日常生活や健康に配慮して、成田空港には離発着の時間制限が設けられた。

 この制限は少しずつ緩和されているものの、24時間の離発着ができないため、成田から羽田へのシフトが進んでいった。