ザグロス山脈の麓に位置するペルセポリス 写真/フォトライブラリー
(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
アレクサンドロス大王が焼き討ちした“シルクロードの王都”
中東には「3P遺跡」として知られてきた3つの人気観光地がある。それがPetra(ペトラ)・Palmyra(パルミラ)・Persepolis(ペルセポリス)で、すべて世界遺産だ。
アメリカ映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で、断崖を彫りぬいたアル・カズネ(宝物庫の意味)が舞台になった「隊商都市ペトラ」(ヨルダン)は、砂漠の交易ルートを支配することで栄えたナバテア王国の都だった。
IS(イスラム過激派組織)によって破壊され、誰もが知る悲劇の遺跡になった「古代都市パルミラ」(シリア)は、シルクロードの拠点であり、2世紀にペトラから通商権を受け継ぎ、ローマ帝国から自由都市の資格を与えられたことで黄金期を迎えた。
実は、こうした砂漠をゆくシルクロード交易の礎をつくったのがペルシア帝国だった。古代ローマに先駆けてアケメネス朝ペルシアという「人類史上初の大帝国」を成し遂げ、エジプトからインドに至る広大な版図を広げた。彼らが領土に張り巡らせた“王の道”が、ペルセポリスへとつながる道で、後の世にシルクロードとなって名を轟かせたのだ。
北方のステップ地帯で遊牧していた騎馬民族が、3000年ほど前にこの地に移住し、好戦的な領土拡大政策により近隣国を次々に征服した。そして紀元前6世紀に古代オリエントを初めて統一、大帝国ペルシアを築き上げた。「ペルシア」は西洋人の使っていた呼称で、自国民は古くから「アーリア人の国」を意味する「イラン」と呼んでいた。1935年、ペルシアは国名をイラン(正式にはイラン・イスラム共和国)と変更した。イランの世界遺産は29件にのぼり、日本より数が多い。
今回紹介する世界遺産「ペルセポリス」(登録1979年、文化遺産)は、ザグロス山脈の麓に置かれたアケメネス朝ペルシアの都である。“王の道”と呼ばれる全長2700kmにおよぶ街道を整備して、大量の物資や人材を集め、200年にわたり繁栄を極めた。
しかし紀元前330年、アレクサンドロス大王率いるマケドニア軍に侵略され、王朝は滅亡する。ペルセポリスは火を放たれ、焼け落ちて廃墟と化した。大王の真意は定かでないが、一説では報復だと考えられている。ペルシア軍は、ギリシャとの戦争でアテネの旧パルテノン神殿を同じ様に焼き払っていた。ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」の規定通り、同害復讐に拠ったのかも知れない。