廃村となった故郷で、鴻之舞鉱山の物語を伝え続けるために

 帰り際、小玉さん本人の話も伺うことができた。

 小玉さんは昭和19年に秋田県で生まれ、父母と一緒に北海道へ渡ったのちは昭和38年の経営縮小に伴う人員整理で退職するまで鴻之舞鉱山の資材課で働いていた。

 その後は紋別市内で別の仕事に就くが、父は昭和20年から閉山の年まで28年間勤めあげたそうで、退職後も鴻之舞とは縁が続いたという。

「今の鴻之舞はクマワラ(北海道弁で「ヒグマがたくさん巣食う自然の山」といった意味)ですね。ヒグマとエゾシカしかいない。でもどんな姿になろうと鴻之舞は自分の故郷。いろいろとみんなで頑張ってここまで形にしたけれど、私の場合は鴻之舞を語り残したいのは『故郷だから』というほかないです」

 と力強く語る。

 上藻別駅逓保存会は同じく鴻之舞鉱山で働き暮らした林包昭氏が会長をなされていた。

 小玉さんは会の初期メンバーの一人で、令和2年に林氏が亡くなられた現在は会長になっているという。

 鴻之舞と上藻別の駅逓をネット上で検索すると、「上藻別駅逓保存会」が上部にヒットする。

「鴻之舞金山と旧上藻別駅逓」ウェブサイト

 このページはもともと「鴻之舞金山・今昔写真集サイト」という名で、鴻之舞出身の八鍬金三氏のほか多くの鉱山関係者の資料提供のもと、管理人の有田久文氏により運営されていたが、平成15年に有田氏の死去後は、各位の厚意と許可により上藻別駅逓保存会が引き継ぐ形となっている。

 鴻之舞鉱山は無人の廃村となってしまった。しかし、かつて働いた人々とその想いは霧散することなく現代にまで残り、上藻別の駅逓は過去の街と記憶が形となって集い、今に語り継がれる場となっている。

 無人化した土地の記憶が顧みられず失われていくことの多い中で、鴻之舞鉱山で暮らし生きた人々の活動は特筆すべきことであると思う。

 しかし、それも将来的にどうなるかはわからないという。閉山から半世紀以上が経過し、当時20代、30代の若者であった人々もみな高齢化している。鴻之舞鉱山で働いた者たちの集いであった「鴻友会」は、かつて札幌や北見にも支部があったが、現在は紋別のものを残して解散し、活動は縮小傾向である。

 毎年7月に執り行われていた慰霊祭も、平成29年の開山百周年記念碑の建立をもってとりやめている。

「資料館といっても物を並べただけでは意味がないですよ。現場や当時のことを知っている人が必要なんです。だから我々がいなくなったらどうなるのかなあ……と思うことはあります」

 と2019年当時、小玉さんは語られていたが、あれから6年が経過し、いよいよ次の世代へ引き継ぐ必要性が差し迫ってきているように思う。