2025年ナ・リーグ ディビジョンシリーズで投球するクレイトン・カーショー(写真:Imagn/ロイター/アフロ)
(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
現在、メジャーリーグはポストシーズンたけなわである。
各球場の観客たちの熱狂はすさまじい。
クレイトン・カーショーと大谷翔平の我がドジャースも、ここまでシンシナティ・レッズ相手のワイルドカードシリーズを勝ち抜き、フィラデルフィア・フィリーズとの地区シリーズを制した。
大谷の打撃不振が心配だ。しかし驚いたことに、レギュラーシーズンは散々だった佐々木朗希が、抑えの投手として獅子奮迅の活躍をしているのである(地元メディアは早速「Demon 悪魔」のニックネームをつけた)。
ロサンゼルス・ドジャースというチームは、ニューヨーク・ヤンキースと共に、日本人にとってなじみ深いチームのひとつだといっていい。
なにしろ1995年、メジャー挑戦のパイオニア野茂英雄が所属したチームである(この年、カーショーはまだ7歳、大谷は生まれたばかりの1歳である)。
大谷翔平が2017年、メジャー挑戦を決めたとき、21球団が手を挙げた。その一つがドジャースで、球団幹部はカーショーをプレゼンの目玉として用意した。
しかし、大谷はDH(指名打者)制があったアメリカンリーグのアナハイム・エンゼルスに決めた(ドジャース所属のナショナルリーグにDH制が採用されたのは2022年から)。
交渉に臨席したカーショーは、「彼はDHをしたいと心を決めているようだった。だから最初からナ・リーグの15チームは除外するべきだったんだ」といっている。
「ナ・リーグ球団はみんな忸怩たる思いだったと思う。彼の興味を引いて契約するために、数多くの人が相当な時間を費やしたんだから」と話し、「時間と努力を無駄にした彼の代理人に腹が立つ」と、大谷側の姿勢に嫌悪感を示した。
それ以来、2024年に大谷がドジャース入りするまでの7年間、カーショーは大谷にわだかまりを抱えていたといわれている。
カーショーと黒田は同期の新人
カーショーが日本の選手と会ったのは、大谷が初めてではない。カーショーは2006年ドジャースに入団し、2008年、メジャーに昇格した。
2008年5月、ドジャースとメジャー契約を結び登板したクレイトン・カーショー(写真:AP/アフロ)

