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 10月4日、高市早苗・前経済安保相(64)が、自民党総裁に選出されました。この先、国会の首相指名選挙で選ばれれば、日本初の女性首相が誕生することになります。すでに、高市氏は「まわりが驚く人事をしたい」と周囲に話しているそうで、党役員と閣僚を合わせた女性の数も過去最多となるようです。

 このニュースを聞きながら、私はふと、本連載の主人公である「開成をつくった男 佐野鼎」(さのかなえ/1829~1877)が、165年前に執筆した『万延元年訪米日記』の中の一節を思い出しました。

米国の政治システム、選挙制度、女性の社会進出ぶりに驚愕

 ときは1860年、明治維新の8年前のことです。幕府は日米修好通商条約の批准書を交わすため、アメリカへ総勢77名の遣米使節団を派遣しました。当時、加賀藩士だった佐野鼎は、その随員の一人として、江戸へ迎えに来たアメリカの軍艦に乗り、約9カ月をかけて地球を一周。途中、ワシントンではホワイトハウスでおこなわれた国書捧呈の儀式にも同行していました。

 このとき日本の使節団を迎え、国書を受け取ったのは、第15代、ジェームス・ブキャナン大統領でした。

はるばる日本からやってきた使節団を一目見ようとホワイトハウス中庭に参集した人々

 まずはこの日の佐野鼎の日記から、一部抜粋したいと思います。

●閏三月二十八日(1860年)

『今日は國書を捧呈せん為、大統領の居宅に至る。(中略)合衆國には天子も無く、又國王もなく、衆人の望に叶う者を挙ぐることとす。其の法國中の人民入札をなし、其の同名入札多きを挙ぐ。故に庶人といへども、其の身の徳に人望の帰するときは、自ら尊きを得。任にあること四ケ年にして、又別人を撰むこと前の如し(以下略)』

「ホワイトハウス」を「大統領の居宅」、「投票」を「入札」という言葉で記しているあたりは、表現に苦労の跡が見て取れますが、江戸時代には、民衆が「望に叶う者」を国の長として選ぶという発想がなかったため、大統領が「選挙」で選ばれるという事実には新鮮な驚きがあったようです。

 さて、この日の日記には、ホワイトハウスの大広間で使節団への応接にあたったブキャナン大統領はじめ、アメリカ側の高官たちについての詳細な記述が続きます。そのくだりで印象に残ったのは、ホワイトハウスでの国書捧呈の場にアメリカの女性たちが列席していることに佐野鼎自身が大変驚いていたことでした。