私たちは、生まれた時から資本主義という世界のプレーヤーとして生きることを運命づけられている(写真:Paylessimages/イメージマート)
(堀内 勉:多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長)
『ハンガー・ゲーム』と私たちの運命
私たちは資本主義という社会システムがデフォルト(初期設定)の世界を生きています。マイクロソフトやアップルのパソコンを買うとWindowsやmacOSが搭載されているように。
そして、好むと好まざるとに関わらず、生まれた時から全世界化された資本主義のプレーヤーとして、プレイングフィールドに立たされているのです。
『ハンガー・ゲーム』という映画をご存知でしょうか。スーザン・コリンズの同名の小説を原作としたディストピア作品です。首都「キャピトル」と12の支配下の地区からなる未来の独裁国家「パネム」が物語の舞台です。
キャピトルは支配層が住む豪華で堕落した都市で、それ以外の12の地区は労働や資源供給を担う貧しい地域です。かつて存在した第13地区での大規模な反乱に対する罰と見せしめとして、各地区から「トリビュート」と呼ばれる少年少女のペア合計24人が選ばれ、見世物として死のサバイバルゲーム「ハンガー・ゲーム」に強制的に参加させられるという物語です。
かつて『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でマックス・ウェーバーが指摘したように、アメリカに渡ることでスポーツのような色彩を帯びた資本主義のゲームに参加しないという選択肢はありません。私たちはハンガー・ゲームの主人公のように戦わなければ生き残れない運命にあるのです。
だとすれば、私たちはこの資本主義社会をどのように生きていけば良いのでしょうか。私が教養に関するこの連載でこれまで語ってきた、ソクラテス以来の「善く生きる」は実現可能なのでしょうか。