広がるパレスチナ国家承認の動き
ところが、実はオスロ合意は、聖地エルサレムの帰属、国境線の画定、パレスチナ難民の帰還といった問題をすべて棚上げしており、のちの和平交渉に委ねるものでした。いずれも解決の道筋の見えない難題で、交渉はすぐに暗礁に乗り上げます。
ラビン首相は1995年、和平反対派の右翼青年の凶弾に倒れました。国内世論は急速に右傾化し、1996年にはいまのネタニヤフ首相が46歳の若さで初めて首相に選ばれました。パレスチナ側でも自治政府幹部の間に腐敗が蔓延し、人々が不信感を募らせていきます。イスラエルの生存権を認めないハマスなどの強硬派が支持を広げました。
オスロ合意の下では、そもそもパレスチナ国家の樹立は難しかったという見方もあります。暫定自治区の多くは、イスラエルが治安と行政を管理したままでした。結局、イスラエルは占領地を返還せず、国際法を無視して入植地を拡大。パレスチナ人の土地は虫が食ったように分断され、自由な行き来すら難しくなりました。
そして、2000年に第2次インティファーダ(アルアクサ・インティファーダ)が始まり、「2国家解決」の道は完全に閉ざされます。
パレスチナ側は銃などの武器を取り、イスラエルの市街地で自爆攻撃を繰り返しました。一方、イスラエル軍は戦車や戦闘機を使って徹底的に弾圧。和平交渉の再開は絶望的となりました。
それでも、アフリカや南米の国々が新たにパレスチナ国家の承認を続けました。第2次インティファーダから12年後の2012年には圧倒的多数の賛成を得て、パレスチナは国連の「オブザーバー国家」となりました。投票権こそ持ちませんが、国連総会など各種会議への出席が許されます。
正式な加盟国になるには、国連安保理の承認が必要です。国連総会では、安保理に対してパレスチナの国連加盟を求める決議が採択されていますが、国連加盟が正式に提案されても、イスラエルと一体化した米国が安保理で拒否権を発動してきました。正式加盟への道のりは簡単ではありません。
それでも、イスラエルによるガザへの攻撃が激しくなるにつれ、パレスチナ国家を認める国は増えています。2024年にはノルウェー、アイルランド、スペインが承認しました。
日本政府の対応はどうでしょうか。