(筆者撮影)
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 第107回全国高等学校野球選手権は、沖縄県の沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた。沖縄県勢としては92回の興南以来2回目の優勝。一方で、大会が始まってから広陵の暴力事件がSNSなどで明らかになり、広陵は初戦に勝ちながら出場辞退となった。

 昨年に続き、序盤は酷暑による2部制が実施されたが、夜10時を大きく回ってのゲームセットがあるなど、何かと話題の多かった大会だった。あまり論じられなかったが、筆者はそれ以上に深刻に受け止めていることがある。

 全国49代表の中で「公立高校」が6校しか出場しなかったのだ。比率にして12.2%。これは、史上最少。

 春の甲子園は予選のない大会で、秋季大会などの成績で選抜されるが、今年は、一般選考30校のうち27校が私学、公立は3校。21世紀枠で公立2校を加えたが、比率にして15.6%だった。

 実質的に春夏の甲子園は「私学の大会」になろうとしている。

夏の甲子園、公立校の優勝は07年の佐賀北が最後

 中等学校、商業学校などが高等学校に移行する「学制改革」が行われた1948年の夏の甲子園では、代表23校のうち、公立高校が18校、私学は成田(南関東)、慶應(東京)、浅野(神奈川)、享栄商(愛知)、関西(東中国)の5校だった。優勝は小倉(福岡)の連覇。

(筆者撮影)

 1949年は公立の比率はさらに上がって20校、私学は東北(東北)、慶應(東京)、平安(京津)の3校だけだった。優勝は湘南(神奈川)。湘南には「プロ野球ニュース」の名キャスターになった佐々木信也がいて1年生ながら大活躍した。