山間地での農業体験を通じて身に染みた農業政策と食料政策の危機
そこに加わるもうひとつの不安要素。
昨年の秋、私は小学生といっしょに、鎌を手にして昔ながらの稲刈りを体験した。三重県の南部に位置する大紀町というところで、日中は子ザルを抱いた母ザルが自動車の前を横切ったり、夜には車に撥ねられたシカが国道に横たわっていたりする地域だった。イノシシと衝突する車も少なくない。それだけに獣害も問題になっている。
そうした地域でも毎年、地元の子どもたちが田植えと稲刈りを通して、コメ作りを体験する。コメの文化を知っていく。
ところが、稲刈りを体験した田んぼの周辺には、雑草ばかりが生い茂り、かろうじて田んぼだったとわかる土地が点在していた。耕作放棄地である。
高齢化に過疎化が加速して、中山間地には耕作が放棄された田んぼが目立つ。誰も手入れをしないから、あぜが崩れて田んぼだったことすらわからなくなっている場所もある。圃場に段差があったり、独特の形だったりするから、大規模化やスマート農業にも向かない。荒れる一方だから、里山としての機能も失われ、やがて人が住めなくなっていく。
「昔は人間が荒地を耕して、動物たちを山に追いやった。いまは人間がいなくなって、動物たちに土地を返しているだけのことだよ」
地元の住民の言葉が印象に残る。毎年コメの需要が減っているとはいえ、生産現場も減ってきている現実がある。
コメの品薄、主食の米国依存の未来を予想すると、どうしても不安が先立つ。やがて日本の食料安全保障が崩壊してしまうのではないか。もはや日本の農政、食料政策の失敗は、取り返しのつかないところまできているのではないか。
いわば、歴史的岐路に立つ。そう思えるのは、私だけだろうか。


