中国産野菜の輸入に率先して注力

 もっとも、消費者にとってみれば、物価高に喘ぐ中で選択肢が増え、主食のコメが安く手に入ることは有益なことだ。消費者により良いサービスを提供することで、売り上げを伸ばしていくことも企業としては当然のことだ。食品スーパーであれば、安定的な価格と供給で消費者に喜ばれる食材を提供する。それならばとイオンが過去に切り拓いたのが、中国からの生鮮野菜の輸入だった。

「天安門事件のあったころですよ。日本人がいかない中国の辺境の地をまわったのは」

 中国からの生鮮野菜の輸入を開拓したイオンの当時の開発担当者が、かつて私のインタビューにそう答えていた。

 天安門事件は1989年になる。その4年前に米国ニューヨークのプラザホテルで開かれたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)で世界的なドル安傾向を容認する。これが「プラザ合意」だ。日本にはかつてない円高基調が訪れ、バブル経済がやってきた。

 一方で“強い円”を武器に日本企業はこぞって海外に生産拠点を置くようになった。日本の生産技術を海外に持ち出し、コストの安い現地資材やインフラを利用して自社製品を生産し、日本に安く再輸入する「開発輸入」が始まっていた。そこで食品業界がもっとも投資したのが、改革開放政策を打ち出していた中国だった。

 隣国の中国であれば日本への輸送距離も短い。「国産野菜の豊作や不作に伴う品薄や価格の乱高下を防ぐのが目的」(開発担当者)で、生鮮野菜の開発輸入に乗り出したイオンが、最初に成功したのがシイタケとネギの生産だった。