小学生と中学生も
元群馬県警察本部長・河村一男氏の著書『日航機墜落 123便、捜索の真相』(イースト・プレス刊)によると、13日午前10時45分、長野県警察の機動隊員がスゲノ沢第3支流で尾根を300m滑り落ちた機体後部の残骸の中から生存者を発見した。生存者は4人で、発見の順番に非番の客室乗務員の26歳女性、34歳女性とその娘である8歳の女子小学生、そして女子中学生である。
最初に発見された非番の客室乗務員は、残骸に挟まれて胸から上が左にくの字になり、右手だけを出して手を振っていた。二番目の主婦は、客室乗務員の残骸を取り除いているうちに、数m上方に空洞があり、そこから見つかった。三番目の女子小学生の娘は、母親のすぐそばで下半身を残骸に挟まれて仰向けになっていた。四番目の女子中学生は、客室乗務員から沢寄り2mほどの場所から逆立ちしているような状態で見つかったという。
日航機墜落の現場。1985年8月14日撮影(写真:日本農業新聞/共同通信イメージズ)
救出された4人とも重傷を負っており、垂直差110m、水平差220m、平均斜度30度の急坂を、事故機のトイレのドアや切った木、ロープなどによる急ごしらえの担架でヘリコプターで引き上げ可能とする尾根の上まで担ぎ上げられた。
11時30分、日本赤十字社の医師、看護師に対して、現場へのヘリ降下が要請され、前橋赤十字病院の医師・饗場(あいば)庄一氏と他医師1名と看護師2名の計4名が降下することとなった。医師と看護師は警視庁のヘリに搭乗し、機内でホイスト降下のための指導を受けたという。12時13分、4名は現場に降下した。
饗場氏らの所見によれば、生存者の脈の状態は、女子中学生は微弱だったが他の3名は比較的良好であった。ただ全員が、骨折や全身打撲の重傷だった。
13時05分になって初めての女子小学生の収容を開始。自衛隊員が後ろから抱きかかえ太腿で彼女の下肢を挟むようにして、上空でホバリングする陸上自衛隊のヘリへホイストを使って引き上げ収容。続いて女子中学生を収容した。
別のヘリで大人女性2名を収容することになったが、3人目の主婦の収容の際、ヘリからホイストで吊り上げた担架がくるくると回転する場面もあった。4人目の客室乗務員の収容が終わったのは13時28分であった。