『勝手にしやがれ』(1960) 写真/Best Image/アフロ
(田村 惠:脚本家)
洋画、邦画を問わず今日まで7000本以上、現在でも年間100〜150本の映画を見ているという、映画を知り尽くしている田村惠氏。誰もが知っている名作映画について、ベテラン脚本家ならではの深読みを紹介する連載です。
撮影現場で即興でつくった型破りな『勝手にしやがれ』
1959年、アメリカでは、ハリウッドの大作映画の集大成とも言える『ベン・ハー』が巨費を投じて製作された。この作品は世界中で大ヒットし、映画は70ミリという更なる超大作へと進化して行くのであるが、同じ年、フランスでは、そんなハリウッドの趨勢に反旗を翻すような革新的な運動が湧き起こる。
ヌーヴェルバーグ(新しい波)である。
中心となったのは、助監督の経験があるルイ・マルを除いては、クロード・シャブロール、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダールといった若い映画評論家たちで、その提唱するところは、既存の映画づくりの常識や制約にとらわれず作家は撮りたいものを自由に創るべしという、清新な反逆精神に満ちた主張であった。
これが世界中から快哉をもって迎えられたのは、何よりも、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』を皮切りに次々に発表された彼らの作品が、どれも斬新で魅力的だったからだ。そして、中でもゴダールの『勝手にしやがれ』は、型破りという点において傑出している。
主人公のミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)は、世の中の常識やモラルに一切縛られない男である。車が必要であれば盗み、白バイ警官にバレそうになればためらわず銃で撃ち殺す。そんな調子でパリに到着したミシェルであるが、満足に飯を食う金も無い。すると今度は女友達を訪ねて行き、彼女の財布から金をちょろまかす。とんでもない男だが、邪気というものがまるで無く、むしろ愛敬さえ感じさせるから不思議である。
ミシェルは、最近知り合ったパトリシアというアメリカ人留学生(ジーン・セバーグ)を探しに街へ出る。彼がパリに来た一番の目的はそれなのだ。彼は路上で新聞売りのバイトをしているパトリシアを探し当て、一緒にローマへ行こうと誘うが、ジャーナリスト志望の彼女は遊んでばかりもいられない。
一旦彼女と別れたミシェルは、彼の犯罪が早くも新聞記事になっているのを知る。しかし、そんなことよりパトリシアを口説く方がずっと大事だ。彼女が部屋へ帰って来ると、勝手に忍び込んだミシェルがちゃっかりベッドに寝そべっている。それがあまりにも自然なので、パトリシアもすんなり彼を受け入れる。しかし、その間にも警察の捜査は進み、次第にミシェルに迫って来る……。
この映画は、トリュフォーの書いた簡単なプロットをもとに、台詞やカット割りの殆どが撮影現場で即興でつくられたと言われている。そんな離れ業が出来たのは、それが、主人公の行き当りばったりの行動を追った明確な方向性のないドラマだからだ。
しかし、この作品の成功体験が強烈だったせいか、これ以後もゴダールは殊更にセオリーを無視したような挑戦的な映画を創り続ける。そして、ルイ・マルやトリュフォーが、デビュー作に匹敵する名作をその後のキャリアの中で何本か生み出したのに対して、ゴダールは遂に一本もものに出来なかった。
フランス映画の礎を築いた名匠の一人、ルネ・クレールは、映画を創ることは家を建てるのと似ていると述べている。だとしたら、脚本は設計図に当たるであろう。きちんとした設計図がなければいい家は建たない。とび抜けた才能を持ちながら、ゴダールがそれを二作目以降に充分に反映し切れなかったのは、その辺りに原因があるのかも知れない。