図1『色見種』(北尾重政、安永六年)、国際日本文化研究センター蔵
(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
夜這いは男にとって娯楽だった
図1で、右の男が、「これはしたり、番が狂った。ええ、業腹(ごうはら)な」と、悔しがっている。
女の寝床に夜這いにきたところ、すでに男がいる。先を越されたのだ。実際は真っ暗闇の、商家の内部の光景である。
一般に夜這いは、農山漁村の性風俗と考えられているようだ。民俗学の分野と言おうか。しかし、江戸の町でも、武家屋敷や商家でも、夜這いはごく普通に行われていた。理由は三つある。
一は、武家屋敷も商家も、奉公人は住み込みが原則だったからだ。
武家屋敷には中間や下男などの男の奉公人、女中や下女などの奉公人が住み込んでいた。大きな商家(大店)ともなると、番頭、手代、丁稚、下男などの多数の男の奉公人、女中、下女などの多数の女の奉公人が住み込んでいた。つまり、ひとつ屋根の下に、若い未婚の男女が雑居生活していたのだ。
二は、武家屋敷であれ商家であれ、当時の木造家屋はプライバシーが守れない住環境だった。部屋と廊下の境界は障子一枚、部屋と部屋の境界は襖一枚であり、鍵もかからなかった。
また、男と女の奉公人の部屋は分かれていたが、それぞれ雑居だった。個室をあたえられていたのは商家の番頭くらいであろう。しかも、照明用の油は高価だった。遊廓の吉原では夜じゅう、部屋の行灯の火を絶やさなかったが、これは例外である。普通の武家屋敷や町家では就寝時にはすべての火を消す。つまり、就寝後は屋内は真っ暗だったのだ。
三は、現代と比べて、娯楽が少なかったことである。現在、夕食後、ひとりで家にいて、テレビも、ラジオも、パソコンも、スマホも、ゲーム機も、CDラジカセも、雑誌も、新聞もない状態を想像してほしい。「あ~、何もすることがない」と叫びたくなるのではあるまいか。
江戸時代、都市と地方にかかわらず、男にとって夜這いは娯楽だったのだ。もちろん、夜這いを娯楽にしていた女も少なくなかったろう。
さて、先述したような住環境を踏まえ、もし、筆者が大きな商家の手代だったら、どうするであろうか。
筆者は断言しよう。「夜這いをする!」
性に飢えていると言うと身も蓋もないが、くわえて冒険心もある。さらに、雑居だけに、隣に寝ている朋輩がそっと寝床を抜け出すのを見ると、やはり悔しいではないか。「あいつにだけ、いい思いをさせてなるものか。よし、俺も」と言う対抗心である。