『黒川の女たち』の取材・制作過程を語る松原文枝監督
「顔出し不可」が物語る偏見と遺族の苦しみ
「今から7年前、2018年の8月に朝日新聞の社会面に掲載された、岐阜市で開かれた佐藤ハルエさんの証言集会の記事を読んだのがきっかけでした。
当時、ハルエさんは93歳。そのころはちょうど、財務省による公文書改竄事件の最中で、政府がそれこそ、組織ぐるみで事実を隠蔽しようとしていた。そんな時に93歳の女性が、70年以上前に自らが受けた、本当は家族にも知られたくないであろう性暴力の事実を公の場で証言した——ということに衝撃を受けました。
また、その記事のハルエさんの写真が素晴らしかった。強い意志と気迫を感じる、印象的な写真でした。一体、この女性は何者なのだろうと惹き込まれ、彼女のことが知りたいと(黒川開拓団)遺族会に連絡を取ったんです。
その後、遺族会から(同年)11月に碑文が完成し、除幕式をするという連絡をいただいて、そこから黒川開拓団についての取材を始めました。
ハルエさんに初めてインタビューしたのが翌19年の3月。それから24年の1月に亡くなるまで何度もインタビューを重ねました。彼女は最初から実名、顔出しで応じて下さいました。
安江玲子さんにインタビューできたのは19年の6月。顔から下しか撮影していないことからも分かるように、当時はご本人の強い希望で、匿名でのインタビューでした」
約1年の取材を経て、松原監督は19年8月、この「戦時下の性暴力」を、報道ステーションの特集で報じたほか、テレビ朝日系列局が共同制作するドキュメンタリー番組「テレメンタリー」(30分)で「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力”~」として放送。さらに11月には「テレメンタリー」の1時間番組として放送された。
「テレメンタリーで放送した時点では、(冒頭の写真の)前列左端の女性に加え、他に4人のお顔をデフォーカス(ぼかしをかけること)していました。顔を出すことに、ご家族やご遺族の許可が下りなかったからです。
今回この写真を映画で使わせていただくにあたって再度、5人のご家族やご遺族を回ったところ、4人のご家族の許可をいただくことができました。が、前列左端の女性のご遺族からは最後まで許可がいただけませんでした。
残念でしたが、逆に、彼女たちが黒川に引き揚げた後、どれほど理不尽な偏見に晒され、ご本人はもちろんのこと、ご家族まで苦しんできたかが、よく分かりました」