被害者をトラウマから解放した家族の言葉

 この「テレメンタリー」の1時間版は後に、第53回「アメリカ国際フィルム・ビデオ祭」のドキュメンタリー・歴史部門で、銀賞に相当する「Silver Screen」を受賞するのだが、松原監督は当初、この作品を映画化するつもりはなかったという。

「テレメンタリーで放送できた段階で、(戦時下の性暴力について)ある程度伝えることはできたかなと思い、自分の中ではいったん、区切りはついていたんです。

 けれどもその後、佐藤ハルエさんの存在や彼女の証言を知って、いろんな人たちが彼女のもとを訪れるようになった。小中高の先生から、大学のゼミの学生たち、普通の会社員の女性グループ、様々な人たちが彼女に話を聞きにきたんです。

 その時に、ハルエさんの言葉はやはり、多くの人たちの心に響いたんだ、また、人の心というのは、こうやって動かされるものなんだと感じ、その後もカメラだけは回し続けていました。

 また23年の10月に、安江玲子さんを再びインタビューできたことも(映画化に向けての)きっかけのひとつになりました。

 実は玲子さんは東京に移り住んで以来、何十年も、遺族会を含め黒川の人たちを避け続けていたんです。

 18年に碑文が立った後、遺族会の藤井会長に『これで一区切りがつきましたね』といっても浮かない顔で、理由を聞いたら『まだ、玲子さんには謝罪できていないから……』と。ところが23年10月に突然、玲子さんから藤井会長に『会ってもいい』と連絡があったので、同行させていただいたんです」

 そのシーンは映画にも出てくる。前述の通り、映画の前半では、顔から下の撮影でインタビューに応じていた玲子さんが、後半では顔と名前を出して話しているのだ。

「4年ぶりに会った彼女は、前回のインタビューとは、まるで別人のようでした。前のインタビューでは、笑顔などひとつも見られなかったのに、こんなに笑う人だったんだ……と。

 実は、映画の中でも触れていますが、玲子さんはそれまで『性接待』の犠牲になった過去について、家族にも話していなかったんです。しかし、この間、報道や本でその事実を知ったお孫さんが、玲子さんに手紙を書くんです。

『婆ちゃんが自殺しなくてよかった。勇気を出してくれて有難う』と。

 この一枚の葉書でようやく、彼女は救われた。トラウマから、完全にではないでしょうが、解放されたんだと思いました」