終戦から70周年を迎え、靖国神社で戦没者に参拝する参拝者たち(2015年8月15日、写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

(韓光勲:梅花女子大学文化表現学部国際英語学科 専任講師、社会学研究者)

 今年2025年はアジア・太平洋戦争が終結してから80周年である。しかし、「戦後80年をいかに迎えるべきか」「日本はいかにして戦争責任を果たすべきか」、あるいは「靖国神社に代わる追悼施設を作るべきか」といった議論は盛り上がっていない。石破茂首相は80周年に合わせて首相談話を出さないことを早々に決めたが、批判の声はあまり聞かれない。何らかのメッセージを出すようだが、その内容をめぐっての議論が特段盛り上がっているわけでもない。

 これには様々な要因が考えられる。まず指摘できるのは、戦後70年の安倍晋三首相談話の時点で「戦後」は終わっていたということだろう。

 2015年8月14日に閣議決定された安倍談話は次のように述べていた。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」

 10年前と比べると、戦後生まれの割合はさらに増加している。「あの戦争には何ら関わりのない」といえる人々がほとんどである。筆者は、この部分は保守派の安倍氏が「反動的」であったというより、「戦争のことなんて知らない」という若者世代の気分をうまく捉えたものであったと考えている。

 北山修作詞のフォークソング「戦争を知らない子どもたち」が最初に発表されたのは前の大阪万博の年、1970年である。大阪・関西万博が開かれる今年は、そこからさらに55年がたっている。もはや「『戦争を知らない子どもたち』を知らない子どもたちや孫たち」の世代が主流になっているのである。