2人が成年期に差し掛かった1935(昭10)年の第11回以降も同じだった。背丈は嵩のほうが高くなったが、2人の力関係が変わらないから、顔の高さはのぶが上だった。

 逆転したのは1946(昭21)年だった第63回。2人が腰を掛けたのは台だったが、構図はシーソーと同じ。今度は嵩の顔が高く、のぶのほうが低かった。のぶはこの場で教師時代のことを懺悔し、「ウチ、生きててええんやろか」と涙ながらにこぼす。2人の立場がのぶの圧倒的優位から対等に変わったことを顔の高さでも表した。

モデルもやはり優秀だった千尋

 登場人物たちの実像も記したい。やなせさんは暢さんが1993(平5)に亡くなったあとの1996年(平8)年、アニメの『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ)でアンパンマンをやっている戸田恵子(67)を花嫁にして、架空結婚式を挙げている。郷里・高知県に誕生した「やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム」の前夜祭でのことだった。

 ユーモア精神に富んだ人だった。やさしい人でもあった。東日本大震災の被災者がアンパンマンのテーマソングを繰り返し聞いていると知ると、急いで絵はがきを配って寄付を募った。チャリティコンサートも主催した。この時、92歳だった。戸田はこの物語の第74回から代議士・薪鉄子役で登場する。

 暢さんは大阪生まれ。最終学歴も大阪府立阿部野高等女学校(現府立阿倍野高)。死別した夫で1等機関士・小松総一郎さんが高知市出身だったため、移り住んだ。

 やなせさんとは高知新聞の同僚。一目惚れしたのはやなせさんだが、プロポーズは暢さん。「やなせさんの赤ちゃんが生みたい」(やなせさんの著書『アンパンマンの遺書』)。童顔で快活、愛らしい人だったという。