やなせさんの2歳年下の弟で戦死した千尋さんは物語と同じく飛びきりの秀才。旧制城東中学校(現追手前高)は5年制だが、4年で修了し、難関の旧制高知高に入学した。1938(昭13)年のことだった。

 当時の旧制高校生はバンカラ。千尋さんも寮に入り、酒を覚えた。かなり飲む人だったという。卒業後は京都帝国大学法科へ。卒業後は海軍予備学生に志願し、少尉となる。その後は駆逐艦に乗船中、米軍の魚雷攻撃で艦が沈み、亡くなった。23歳だった。

嵩・千尋の母親のモデル登喜子さんの生涯

 やなせさんと千尋さんの母親である登喜子さんは高知県香北町(現・香美市)の大地主の家に次女として生まれた。評判の美女で高知県立第一高等女学校(現・県立高知丸の内高)在学中に1度結婚。すぐに離婚し、間もなく見合い結婚するが、再び離婚する。

『あんぱん』で嵩と千尋の母・登美子を演じた松嶋菜々子(写真:アフロ)

 次に、やなせさんの父親である清さん(物語でも清=二宮和也)と大恋愛の末に結ばれるが、清さんとも死別したため、また再婚した。やなせさんは千尋さんと一緒に伯父の医師・寛さん(物語でも寛)に預けられたため、登喜子さんが捨てたと見る向きもあったが、やなせさんは生涯、登喜子さんを愛した。

 のぶと嵩の上司である好漢・東海林明に明確なモデルはいないが、人柄が投影されていると見られる人物はいる。2人が所属する『月刊くじら』の原型である『月刊高知』の編集長だった青山茂さんだ。

のぶの上司、『月刊くじら』の編集長・東海林明を演じる津田健次郎(写真:共同通信社)

 名家の生まれで、祖父は自由民権家、長く高知市議会議長を務めた。青山茂さんは早稲田大時代には水泳自由形800メートルで日本記録をマークした。

『月刊高知』の編集部員は『月刊くじら』と同じ4人。みんなで仲良く闇市でおでんを食べ、全員が食中毒になったり、まるで学生時代のような日々を送った。リーダーだった青山さんの人柄によるものだろう。