娘の家族はなぜ殺されたのか
そういう話が出たのも、実は事件の被告弁護人が、オウム真理教の教団組織の実態は、戦前戦中の日本と重なると主張したからだった。
オウム真理教と終戦とは、決して無関係ではない。
今年がちょうど戦後80年だとしたら、終戦からちょうど半世紀、50年の節目に当たる年に、オウム真理教は地下鉄サリン事件を引き起こした。その直後に警視庁による教団施設への強制捜査が入り、教団による数々のおぞましい事件が白日の下に晒されていった。
坂本弁護士一家殺害事件は、それよりも6年前に起きていた。
当時、坂本堤弁護士はオウム真理教の信者の脱会支援や教団の反社会性を訴えて活動していた。発足した「オウム真理教被害者の会」の世話人にもなっている。
その弁護士と家族の暮らす横浜市磯子区のアパートの一室に、1989年11月4日の午前3時過ぎ、オウム真理教の幹部信者ら6人が侵入すると、就寝中だった坂本弁護士(当時33歳)、妻の都子さん(同29歳)、長男の龍彦ちゃん(同1歳)の一家3人を、首を絞めるなどして殺害。遺体を運び出し、それぞれ新潟、富山、長野の山中に埋めた。
連絡の取れなくなった親族は警察に届け出る。しかし、教団との関連が疑われながらも、神奈川県警は「失踪事件」として扱った。
そこから家族の必死の思いの救出活動が始まる。その一人に妻・都子さんの実父の大山友之さんもいた。坂本弁護士の同僚弁護士も一緒になって、一家救出のための活動を展開し続けた。