他方、1990年代以降のグローバリゼーションは、良い意味でも悪い意味でも「米国一強」の状態を生んだ。グローバル経済の決済の仕組みは米国ドルを使ったものへと集約され、また米国がその国内市場を新興国に開放するかたちで新興国経済は大きく成長した。

 その米国一強の状況が、ロシアや中国のデ・グローバリゼーションへの扉を開いた面があったのではないだろうか。

デジタルプラットフォームで米国は勝者となったが…

 かつてグローバリゼーションは、全世界が市場経済と民主主義を旗印として掲げ、世界全体として各国国民の幸せを向上させていくものだという希望を抱かせるものだった。

 しかし、それが米国一強の覇権の上に成立するという構図がみえてきた時、民族の誇り、自立といったかつての思いが再び強くなった国が出てきても、それは不思議ではない。デ・グローバリゼーションの下地はそうして作られていったのではないだろうか。

 その一強の米国でも、これまでのグローバリゼーションへの反発が強まった。それがトランプ政権の誕生に繋がった側面は大きい。

トランプ政権誕生の背景としてグローバリゼーションによる格差拡大が指摘される。写真はG7サミットの初日に帰国するトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)

 地球規模の分業が進むことで、先進国はどこも、モノそのものを造ることが総じて不得意分野になった。工場設備そのものを新興国に立ち上げ、生産パターンそのものを移植できるのだから、賃金の安いところでモノ造りが有利になるのは避けられない。

 では何が先進国に残るかと言えば、新しいモノやサービスを考え出す部分であり、モノの充足が進む中では、サービスの分野によりチャンスがあり、技術面でデジタル化が進展する下では、それはデジタルの新しいサービスになる。

 かくして、2000年代以降、様々なデジタル・サービスのプラットフォームが生み出されたが、それらは米国企業が独占している。