世界からリスペクトされる日本になるために
米中が納得できる制限を作るビジネス分野の範囲と、その輸出入制約の厳しさはどれほどのものか。両国に対し探りを入れるのに、日本はまさに良い立ち位置にいるのではないか。
日本も含め、多くのアジアの国々は米国と中国から踏み絵を踏まされるのを決して好まない。どちらとも納得できる距離で関係を保っていきたいというのが本心だろう。
そういう風見鶏的な立ち位置には反対の意見もあるだろう。しかし、得意なことを自国に残し、不得意なことを他国に依存するという国際貿易の比較優位の考え方は、そもそも風見鶏的だ。自国の有利・不利は時間の経過とともに変わってしまう。
みな自国のことを考えて交渉をするので、何故それが自国の有利であるかを明確に説明できることが大事になる。その説明が合理的であれば、自国には受け入れらなくても相手を理解することはできる。
そもそも利害は対立するものであり、一致はしない。交渉とは、常に、どこに線を引くかを巡ってなされるものだ。その過程において、有利な時も、不利な時も、ブレない自国の価値を示せることが相手からのリスペクトにも繋がるのではないか。
日本はこの大きな変化の中で、そうしたブレない自国にとっての価値をはっきりさせる必要に迫られている。もちろんそれは、日本の民主主義の中で集約されなければならない。次の全国規模の選挙である参議院選挙においても、本当はそれも問われている。