蝦夷地開発のきっかけとなった『赤蝦夷風説考』

 一方の幕府パートでは、老中・田沼意次が蝦夷地の開発に乗り出そうとしていた。そのきっかけとして、ドラマでは『赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)』という一冊の本がクローズアップされている。

『赤蝦夷風説考』は、江戸時代中期の医師・経世家(経済学者)である工藤平助が著した、日本で最初のロシア研究書だ。平助は蘭学者たちとの交流から海外事情を学んで、この本をまとめたといわれている。『赤蝦夷風説考』では、次のような警告がなされている。

「ロシアが次第に版図を拡げたこと。漂流の日本人を撫育して日本語を研究している。魔手は伸びて千島・カラフトに及び、今ではわが国周辺を乗り廻して地勢を見届けている。この際これを打捨て置くべきではない」

 そして、いっそのことロシアと交易してはどうかと、こんな提案をしている。

「蝦夷に金山が多くあるから、これを調べて掘り出し、それをロシアとの交易にあててもよい。ロシアと交易して見れば世界の事情も明らかになり、長崎での唐・オランダ貿易に、一方的に彼らに不当の利をむさぼられるようなこともなくなるであろう」

 ドラマでは、田沼家の用人(ようにん:大名や旗本の家臣のこと)である原田泰造演じる三浦庄司(みうら しょうじ)が、田沼親子に『赤蝦夷風説考』を見せながら、作者である工藤平助から教わった蝦夷地のポテンシャルを熱弁。「蝦夷地を江戸幕府の直属地とし、オロシャ(ロシアのこと)と交易や金銀銅山の採掘をしてはどうか」と提案し、意次が身を乗り出す場面があった。

 やや前後関係が異なるものの、このシーンはおそらく、先の工藤平助の娘・只野真葛(ただの まくず)が書いた随筆『むかしばなし』が下敷きになっているのだろう。

 この随筆によると、平助が意次の用人から「永く後世の人のためになることをやっておきたい」という意次の意向を伝えられて、蝦夷地の開発を提案。「日本を広くしたのは田沼様の仕事だ、と後世の人びとから尊敬をうけるだろう」と用人に伝えたという。

 すると、「主人の田沼意次に伝えたいから、一冊の本にまとめて提出してほしい」と言われたので、出版されたのが『赤蝦夷風説考』だとしている。

 また、他の説では、対ロシア問題について以前から考えていた意次が、『赤蝦夷風説考』を読み、著者の平助の要望を採用して、北方対策に乗り出したとも言われている。

 当時の民が飢饉に苦しめられていたことを思うと、意次が蝦夷地の開発に取り組んだのは、後世の評価を気にして、というよりも差し迫った食糧問題の解決法として、以前から蝦夷の開発を考えていたのだろう。そんなときに『赤蝦夷風説考』が刊行されて、行動を起こすきっかけとなった、というのが自然に思える。

 いずれにしても、意次が蝦夷地に目をつけたところには変わりない。ただ、一つ問題があった。それは蝦夷地の一部を領地とした松前藩の問題である。