「少年A」から大きく変化したマスコミ報道
──2025年5月11日には、千葉市で15歳、中学3年生の少年が84歳の女性を殺害する事件が発生しました。この事件を、川名さんはどのように見ていますか。
川名:昨今の少年事件のトレンドが見られた事件だな、という印象を受けています。
1997年に神戸連続児童殺傷事件が起こったときは、学校が記者会見を開き、少年Aの学校生活について説明をしましたし、マスコミはマスコミで家庭環境に問題があったのではないかなどと報道していました。
つまり、あの時代は、少年事件が起こった理由を考えるときに、学校や家庭に目を向けようとする視点があったのです。
ところが、今回の千葉市の事件もそうですが、近年は少年事件が起こっても学校が記者会見を開くようなことはありません。少年事件を考えるにあたって、教育の視点が失われているということの表れなのだと思います。
また、千葉市の事件の初報では「少年が『誰でもいいから殺したかった』という動機を供述している」という点が強調されていました。この書きぶりだと、猟奇的な少年が、誰彼構わず人を殺してみたかった事件であるようにも読み取れます。
けれども、よくよく新聞各紙を読んでみると「『誰でもいいから殺したかった』という趣旨の供述をしている」と書かれているのです。詳しく読むと、読売新聞には「複雑な家庭環境から逃げたかった」というくだりもありました。
もし報道の仕方が、このようであればどうだったでしょう。
「少年は『複雑な家庭環境から逃げたかった。特定の誰かを狙って殺そうとしたわけではない』という趣旨の供述をしている――」
私たちが抱く少年へのイメージが変わってくるのではないでしょうか。
たとえば、1980年代、90年代初頭であれば、同じ取材をしたとしても「誰でもいいから殺そうと思った」という点を強調するような報道はしなかったと思います。「複雑な家庭環境」に重きを置いた報道をしていたのではないでしょうか。
先ほども言いましたが、少年事件の加害者となる少年少女たちの特徴は、今も昔も極端には変わりません。単に、私たちが少年事件を見る目線が、変化しているに過ぎません。千葉市の事件は、そのトレンドを捉えた典型的な例だと思います。
──少年事件の加害者や被害者、及びその家族に対して、私たちが考えなければならないことがあったら、教えてください。