「リングの中ではメインイベンターとして、しっかりと責任を持って試合をするけど、プロレスの会社の社長になろうなんて気はまったくないんだよ」というのが鶴田の姿勢である。

 それは一貫して変わらず、85年1月に長州力がジャパンとして全日本に乗り込んできて「もう馬場、猪木の時代なんかじゃないぞ! 鶴田! 藤波! 天龍! 俺たちの時代だ!」と俺たちの時代を高らかに宣言した後も鶴田はこう言っていた。

「僕が考える俺たちの時代は、あくまでもリング上。〝テレビの主役はBIではなく鶴田、長州、天龍、藤波だ〟という意識ですよ。それがマッチメークや経営にまで及ぶものではない。それまで含めてと言うなら〝俺たちの時代はない!〟としか言いようがないね。俺たちはオーナーではなくレスラーなんだからマッチメークなどの無言の力を否定できないけど、とにかく試合で俺たちの時代を表現するしかない。それ以上を望まれたら〝俺たちの世代に、俺たちの時代はないよ〟ってことですよ」

 リーダーシップを発揮してくれず、リング上では87年4月に長州らのジャパン勢の多くが新日本プロレスに去っても危機感が感じられない鶴田に遂に天龍が爆発。

 同年5月16日、『スーパーパワー・シリーズ』第2戦の小山ゆうえんちスケートセンターにおけるタイガー・ジェット・シン&テキサス・レッド戦が鶴龍コンビのラストマッチになった。

「現状は現状として受け止めなければ仕方ないけど、お客さんには常にフレッシュ感を与えなければいけないし、強いインパクトを与えていかなければ失礼だし、ウチ(全日本)にとっても良くない。だから俺は今、ジャンボ、輪島(大士)と戦いたい。……ジャンボの背中は見飽きたし、輪島のお守りにも疲れたよ!」と、試合後に天龍がまくし立てたのである。

 馬場は選手のヒエラルキーを乱す言動、行動を嫌うだけに、これは思い切ったアクションだったが、最終的に馬場は天龍の主張を認めた。

 6月1日の金沢におけるタイガーマスク(三沢光晴)の『猛虎七番勝負』第5戦の対戦相手として、低迷していたタイガーマスクの潜在能力を引っ張りだした天龍を目の当たりにて「素晴らしい試合だったと思うな。タイガーは、負けはしたけれども、これを機に伸びていくだろう。これはタイガーに限らず、他の選手にも言えることで、どんどんこういうカードを組んでいきたい」と、天龍のプランを受け入れることを決断したのである。

6・7高松でウォリアーズに敗れた天龍。この後、鶴田が天龍の髪を…