伝説のプロレスラージャンボ鶴田が亡くなってから25年。日本人レスラー最強説が囁かれ続ける事実をはじめ、いまなお多くのプロレスファンの記憶に残っている。そんな中5月13日よりジャンボ鶴田の「最強説」を検証すると同時に「最強ではあるが最高ではない」理由、「普通の人でいたかった怪物」という人間性に迫った28万字の超大作『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』がWEBメディア「シンクロナス」限定の電子書籍にて好評発売中である。
そこで今回は電子書籍発売記念として、『永遠の最強王者ジャンボ鶴田 完全版』第10章「鶴龍対決」より一部抜粋し、「天龍革命」における天龍源一郎の主張、そしてジャイアント馬場が革命を支持した理由を紹介する。
「ジャンボの背中は見飽きた!」と天龍
天龍源一郎がジャンボ鶴田と相容れなくなったのは86年6月7日、高知市民文化センターにおける鶴龍コンビvsザ・ロード・ウォリアーズだったとされる。
鶴田は「ほらほら、いつまでも寝てないで起きて!」と、ホーク・ウォリアーに敗れた天龍の髪を引っ張って起こそうとした。
その時、天龍は「こういう俺みたいにひとりで相手の技を受ける奴がいるから、お前がいいカッコできるんだよ、この野郎! 金輪際、思いやりのないお前のお守りをするのは嫌だ!」と思ったという。
しかし鶴田への不満が芽生えたのはもっと前のことだ。全日本の社長が馬場から松根光雄に代わって新体制になり、リング上も馬場に代わって鶴田をエースにしようという路線になった頃からだった。天龍は新体制のブッカーに就任した佐藤昭雄の改革に戸惑う一方で、トップとして全日本を引っ張っていこうという気概が見えない鶴田に物足りなさを感じたという。
「ジャンボに〝会社のためにはこうした方がいいって馬場さんに言ってよ〟とかって言うと〝源ちゃん、そんなことは俺もとっくにわかってるんだよ。でも、そんな簡単にはいかないんだよ!〟って怒ったからね。ジャンボは諦めちゃっていたのかな」(天龍)