
東京・荒川区。隅田川と荒川に挟まれたこの地域は、かつて「東京の産業エンジン」と呼ばれ、町工場が密集していた。高度経済成長期には2000を超える町工場がひしめき合い、日本のものづくりを支えた。
現在は工場の数も減り、マンションや商業施設に姿を変えた区画も多いが、今なお技術の灯を守り続ける工場もある。
エボナイトを製造する日興エボナイト製造所もそのひとつだ。住宅街に溶け込むようにして佇み、戦後から変わらぬ姿で立ち続ける。工場から漂う独特の香りと熟練職人の手作業は今では国内ではここでしか見られない貴重な光景となっている。
幅広く利用されていたエボナイト、プラスチックの登場で急速に用途が縮小
エボナイトとは、天然ゴムと硫黄を加熱して作られる硬質ゴムで、1839年にアメリカの発明家チャールズ・グッドイヤーによって発明された。黒檀(エボニー)に似た外観からその名が付けられた世界最古の成型可能な熱硬化性樹脂である。
19世紀半ば以降、エボナイトは急速に普及し、19世紀後半から20世紀前半にかけて生活のさまざまな場面で使用されるようになった。電気部品の絶縁体からボウリングの球、蓄音機まで幅広く使われた。耐酸性・耐アルカリ性に優れ、高い電気絶縁性を持ち、経年劣化が少ないため、100年以上前の製品が現存することもある。
最大の特徴は、しっとりとした独特の触感と漆のような光沢だ。「手に吸い付く」と表現されるこの感触は、現代の合成樹脂では再現が難しい。
だが、エボナイトはその後、姿を消していく。プラスチックの登場だ。1940年代の石油系プラスチックの台頭により、市場は縮小の一途をたどった。今では日興エボナイトが国内唯一のエボナイトメーカーになっている。
「市場縮小による業績低下を打開するため、2000年代後半から下請け依存からの脱却を目指しました」と語るのは、同社の4代目の遠藤智久社長だ。

遠藤社長が選んだ活路は、エボナイトの特性を活かした自社製品の開発だった。2009年に万年筆ブランド「笑暮屋(えぼや)」を立ち上げた。現在では同社の売上高の3〜4割を万年筆事業が占め、年間約1200本を製造する主力事業に成長している。供給が追い付かない状態が続く。